★サブタイトル:自分自身に向かってアホ言うな!(笑)
それは、神への怒りでもなく、文句でもなく、という感じで、悪い感じの思いではないようなのです、やはり、感じ悪いな~(嫌な癖になってしまったな)と思っていた事なのです。
心に向き合い、暫く経つまでは、そのような思いは、今のような認識がなくても、神や仏に向かっても、アホ~!!なんて事は・・・
殆どというか、なかったような気がしていましたので、スピリチュアルメッセージなどに関わりだしてからいろいな怪しい情報などの影響から、自分の心に出きた影なのかなとか、いろいろ思っていましたが、答えが見つからず、ずーっと困っていたものです。
しかし、それがなんなのか、分かった気がしたのです。
とうとう抜けだしてやったぜ!わーい♪みたいな。
これはには、深~い、想い・・・
それは、私の人生のものか、もっと壮大な意識の集合的なもののような・・・
個人的にも人類的にもとても今生だけで得られるような想いではないような・・・
それともそういうところ(何か感ずるところ)からやってきたのか・・・
人類の過去からの経験から未来への願望というか・・・
意識のパケット・・・
青写真というべきか?
それを何処かで忘れないようにセッティングでもしてきたとでも言うような・・・
意識とはそういうものなのか・・・
でも、アホ~はやめて欲しかった(笑)が、思い出してほしい?何かそのような働き、わかる気も。
時空を超越した意識の部分・・・願いというか、願望というか、人類が乗り越えるべき部分というか・・・そのような想いやらが、アホ~の言葉の発せられる意識の奥深く、アホ~の言葉で一つのパケットのようにして埋まっている?上手くできてるな~と感心するようなアレコレが詰まっているようであり、そのような事なので一言では言い表わせまない、それ。
来るべき人類の新たな意識の水準のようなものが計画されていて深層の意識に埋まっているのだろうか。それを忘れないようになっているんじゃないかな~と。分かりやすく言うならインナーチャイルド的な話であり、今思えばその「アホ~」と言い出す態度が嫌すぎてインナーチャイルドだと思えなかっただけかもなんて思えてくる。
常識のマインドではありえないと思えるような、なにか、どこか、引っかかる言葉や思考、感情、単なる心の闇だと思っていたものが、一つ一つ向き合って紐解けていくたびに、その奥底にあるものは、いつも、何かの存在を思わせ、紐解いてきたそれぞれが祭り合うようにに繋がり、意識なのか思考か、それが何なのかは分からないが、それを、いつもどこかに向かわせる・・・
それが神の仕組みというなら、神に使われていないようで、使われているってことのような・・・
それを知るには、ただ、理解しようと意識し続けるだけでよい・・・何とも味わい深い。
そのような事を考えた後、しばらくしてから、思ったのが、人が創造主であるとうのだから・・・物に対する神は人間であるとひふみ神示でも言っていますが(金持ちが好きなように物や人を操作できるとかそういう意味ではありません。それは物質主義)、
神に向かって疑念を抱いたり何かを思うということは、自分自身に向かってそうしているということでもあるという事ですね!人間変換器と言われるその身に向かって言っているのです。至極単純、神を馬鹿にすると自分が創造主なのだから自分が想像したようにそれが自分となるように。
人間の体の情報処理能力が脳の何千倍とか科学的な研究でもわかってきたようですし、脳で思考したことは自分の精神を分析したものですから、それがマインドとなって埋め込まれ、現実に変換されているかもしれないという事は・・・非常にショボ過ぎる現実を過ごしている可能性について想像つくと思います。
私の今までの体験との関連性を考えてみると、私の以前の神の理解のないショボショボな現実意識の中で、ひふみ神示や、人生を振り返ってみた時、シンクロニシティという偶然的な現象が単なる偶然でないかもしれないと察知し、探求を始め出したのですが、
その真偽の追求を進める事で、知らない次元の世界ってあるな~という認識の範囲が広がって、今では疑う理由もなくそのようにマインドが変化しているため、それが当たり前のようになっているようです。自分自身の行動が今まで無かったものを引き寄せてそれはあるというふうに意識を拡張させたという事です。それはあるだろうではなく、あるです。
引き寄せの法則的な話になってきましたが、現実がうまくいかないのは、物質に対しての神である自分自身を疑ったりして自分で自分をダメにしているからではないでしょうか。そういう私も、目に見える事が影響して、ついついそうなりがちですから、これに気づいたからには、気をつけようと思うところです。
こんな単純な事を今更ながら妙に納得する事になってしまって喜んでいるという(笑^^;)
・物の中心は、人
・霊の中心は、霊の霊
・霊の霊の中心は、神
なぜ、現実が変わらないように見えるのか。
それは霊的な神秘を迷信だとして馬鹿にしていることや、自分の見たものしか信じない事、物質しか存在しないというような狭い意識、宗教や霊能者などによる気色悪い話などで、直接的にも、潜在的にも教育されてしまい、そのような事実として心がブロックされ、マインドはそうだと信じているため、それ以上の意識の拡大を許さず、結果として、小さな創造主として自らを現実に作り出している状態なのではないでしょうか?!
自分自身という創造主にあれこれ判断を下している状態は、中心に存在する神に成り代わって狭い意識の精神しか分析できない思考(小さき私)が、無限の存在である神の大きな意識の部分(霊的な神秘など)を馬鹿にして神にとって代わっているということではないかと?!
自分が創造主であるという認識で人生を運ぶなら、創造を現実化しているエネルギーである陰陽や善悪の話も関係してきますが、つまるところは、何でも肯定的に考えるという事なのでしょう。
肯定的に考えることで、陰陽、善悪、プラス・マイナスといった二元のエネルギーが適切に働きありがたい現実が引き寄せられ、その中心は更にいと高き広大な意識、所謂大神へと繋がっていくのであろうから、至高の神への認識、理解さえ間違わなければ、いつも中心に向かって、更に、意識の拡大が起きバージョンアップしていくというような事ではないでしょうか。
あなたのいと高き神とはどんな神?という話にもなるのですが、中庸の意味をなんとか真実を掴んで理解するしかないのかもしれません。まずは、お父様、お母様の世界か。神事では生まれ赤子の気持ちになって神を求めよと書かれています。
その中庸も今では以前に思っていたような事から随分と踏み込んだ理解にあり、また真実が見えてくる事で更に知ろうと思う事で行動が起きるものであるようです。そして新たな中心を見つけるという繰り返しで意識の水準が上がったり下がったり(一歩下がって二歩進む的な意味で、感覚的)
人間変換器・・・自分自身を信じるというか創造主的なところを見つけていくというか・・・常識という思考の癖を取りそれがあると悟らせなければ、それはマインド・・・自分自身の限られた精神の範囲で思考が繰り返され、変化(主に神秘的な部分において)はいままでと同じように感じる・・・そりゃぁ、そういうことで。ものの見かた。より正確には現実の見かたでしょうか。
人が創造主というのであるから、体全体が創造主であって、脳の部分、思考だけが神となっていていないか?その他の体のどうであろうか?神事を読んだ人なら知っていると思いますが、肉体は霊の宮であると書かれています。これが科学的に発見されつつある脳の何千倍もの処理能力をもった体である、生体コンピュータのことではないでしょうか。
神事に、神は人には、それとはかわるものではない・・・・と書かれていますのは、自分自身の事も、その創造主的なイロハもわからないのに、霊のことも、霊の霊のその先の神、ましてや大神の働きなどわかるわけがなかろうと言いたげに書かれているようにも思えます。
大きな心を持つ事、とか、何でも肯定的に考える事とか、わかってくると口数が少なくなるぞと神事に書かれています。
自分自身という霊の宮である生体コンピューター(思考も含めて全部)、物質的社会的な小狭い意識の範囲で身につけてしまっているマインド(そうだと思っている)による精神(ものの見え方)の状態から発生する思考などから開放され、もっと大きな意識である神(これは霊の霊とか、更にいと高き意識存在である人神)と融け合いなさいということかも~。と思うところです。
神事には、神の処理と人の処理を一致させなければならない。というのもありました。これは人にあてたメッセージなのか、天に向けたメッセジなのかよくわかりませんが、巷のスピリチュアルメッセージの多くは、人体がそのような事を知らない間にやってくれているような事を言っていますね。
こうやって点と線を結びつけてくだけでも認識が変わってくるものです。
それは、神への怒りでもなく、文句でもなく、という感じで、悪い感じの思いではないようなのです、やはり、感じ悪いな~(嫌な癖になってしまったな)と思っていた事なのです。
心に向き合い、暫く経つまでは、そのような思いは、今のような認識がなくても、神や仏に向かっても、アホ~!!なんて事は・・・
殆どというか、なかったような気がしていましたので、スピリチュアルメッセージなどに関わりだしてからいろいな怪しい情報などの影響から、自分の心に出きた影なのかなとか、いろいろ思っていましたが、答えが見つからず、ずーっと困っていたものです。
しかし、それがなんなのか、分かった気がしたのです。
とうとう抜けだしてやったぜ!わーい♪みたいな。
これはには、深~い、想い・・・
それは、私の人生のものか、もっと壮大な意識の集合的なもののような・・・
個人的にも人類的にもとても今生だけで得られるような想いではないような・・・
それともそういうところ(何か感ずるところ)からやってきたのか・・・
人類の過去からの経験から未来への願望というか・・・
意識のパケット・・・
青写真というべきか?
それを何処かで忘れないようにセッティングでもしてきたとでも言うような・・・
意識とはそういうものなのか・・・
でも、アホ~はやめて欲しかった(笑)が、思い出してほしい?何かそのような働き、わかる気も。
時空を超越した意識の部分・・・願いというか、願望というか、人類が乗り越えるべき部分というか・・・そのような想いやらが、アホ~の言葉の発せられる意識の奥深く、アホ~の言葉で一つのパケットのようにして埋まっている?上手くできてるな~と感心するようなアレコレが詰まっているようであり、そのような事なので一言では言い表わせまない、それ。
来るべき人類の新たな意識の水準のようなものが計画されていて深層の意識に埋まっているのだろうか。それを忘れないようになっているんじゃないかな~と。分かりやすく言うならインナーチャイルド的な話であり、今思えばその「アホ~」と言い出す態度が嫌すぎてインナーチャイルドだと思えなかっただけかもなんて思えてくる。
常識のマインドではありえないと思えるような、なにか、どこか、引っかかる言葉や思考、感情、単なる心の闇だと思っていたものが、一つ一つ向き合って紐解けていくたびに、その奥底にあるものは、いつも、何かの存在を思わせ、紐解いてきたそれぞれが祭り合うようにに繋がり、意識なのか思考か、それが何なのかは分からないが、それを、いつもどこかに向かわせる・・・
それが神の仕組みというなら、神に使われていないようで、使われているってことのような・・・
それを知るには、ただ、理解しようと意識し続けるだけでよい・・・何とも味わい深い。
そのような事を考えた後、しばらくしてから、思ったのが、人が創造主であるとうのだから・・・物に対する神は人間であるとひふみ神示でも言っていますが(金持ちが好きなように物や人を操作できるとかそういう意味ではありません。それは物質主義)、
神に向かって疑念を抱いたり何かを思うということは、自分自身に向かってそうしているということでもあるという事ですね!人間変換器と言われるその身に向かって言っているのです。至極単純、神を馬鹿にすると自分が創造主なのだから自分が想像したようにそれが自分となるように。
人間の体の情報処理能力が脳の何千倍とか科学的な研究でもわかってきたようですし、脳で思考したことは自分の精神を分析したものですから、それがマインドとなって埋め込まれ、現実に変換されているかもしれないという事は・・・非常にショボ過ぎる現実を過ごしている可能性について想像つくと思います。
私の今までの体験との関連性を考えてみると、私の以前の神の理解のないショボショボな現実意識の中で、ひふみ神示や、人生を振り返ってみた時、シンクロニシティという偶然的な現象が単なる偶然でないかもしれないと察知し、探求を始め出したのですが、
その真偽の追求を進める事で、知らない次元の世界ってあるな~という認識の範囲が広がって、今では疑う理由もなくそのようにマインドが変化しているため、それが当たり前のようになっているようです。自分自身の行動が今まで無かったものを引き寄せてそれはあるというふうに意識を拡張させたという事です。それはあるだろうではなく、あるです。
引き寄せの法則的な話になってきましたが、現実がうまくいかないのは、物質に対しての神である自分自身を疑ったりして自分で自分をダメにしているからではないでしょうか。そういう私も、目に見える事が影響して、ついついそうなりがちですから、これに気づいたからには、気をつけようと思うところです。
こんな単純な事を今更ながら妙に納得する事になってしまって喜んでいるという(笑^^;)
・物の中心は、人
・霊の中心は、霊の霊
・霊の霊の中心は、神
なぜ、現実が変わらないように見えるのか。
それは霊的な神秘を迷信だとして馬鹿にしていることや、自分の見たものしか信じない事、物質しか存在しないというような狭い意識、宗教や霊能者などによる気色悪い話などで、直接的にも、潜在的にも教育されてしまい、そのような事実として心がブロックされ、マインドはそうだと信じているため、それ以上の意識の拡大を許さず、結果として、小さな創造主として自らを現実に作り出している状態なのではないでしょうか?!
自分自身という創造主にあれこれ判断を下している状態は、中心に存在する神に成り代わって狭い意識の精神しか分析できない思考(小さき私)が、無限の存在である神の大きな意識の部分(霊的な神秘など)を馬鹿にして神にとって代わっているということではないかと?!
自分が創造主であるという認識で人生を運ぶなら、創造を現実化しているエネルギーである陰陽や善悪の話も関係してきますが、つまるところは、何でも肯定的に考えるという事なのでしょう。
肯定的に考えることで、陰陽、善悪、プラス・マイナスといった二元のエネルギーが適切に働きありがたい現実が引き寄せられ、その中心は更にいと高き広大な意識、所謂大神へと繋がっていくのであろうから、至高の神への認識、理解さえ間違わなければ、いつも中心に向かって、更に、意識の拡大が起きバージョンアップしていくというような事ではないでしょうか。
あなたのいと高き神とはどんな神?という話にもなるのですが、中庸の意味をなんとか真実を掴んで理解するしかないのかもしれません。まずは、お父様、お母様の世界か。神事では生まれ赤子の気持ちになって神を求めよと書かれています。
その中庸も今では以前に思っていたような事から随分と踏み込んだ理解にあり、また真実が見えてくる事で更に知ろうと思う事で行動が起きるものであるようです。そして新たな中心を見つけるという繰り返しで意識の水準が上がったり下がったり(一歩下がって二歩進む的な意味で、感覚的)
人間変換器・・・自分自身を信じるというか創造主的なところを見つけていくというか・・・常識という思考の癖を取りそれがあると悟らせなければ、それはマインド・・・自分自身の限られた精神の範囲で思考が繰り返され、変化(主に神秘的な部分において)はいままでと同じように感じる・・・そりゃぁ、そういうことで。ものの見かた。より正確には現実の見かたでしょうか。
人が創造主というのであるから、体全体が創造主であって、脳の部分、思考だけが神となっていていないか?その他の体のどうであろうか?神事を読んだ人なら知っていると思いますが、肉体は霊の宮であると書かれています。これが科学的に発見されつつある脳の何千倍もの処理能力をもった体である、生体コンピュータのことではないでしょうか。
神事に、神は人には、それとはかわるものではない・・・・と書かれていますのは、自分自身の事も、その創造主的なイロハもわからないのに、霊のことも、霊の霊のその先の神、ましてや大神の働きなどわかるわけがなかろうと言いたげに書かれているようにも思えます。
大きな心を持つ事、とか、何でも肯定的に考える事とか、わかってくると口数が少なくなるぞと神事に書かれています。
自分自身という霊の宮である生体コンピューター(思考も含めて全部)、物質的社会的な小狭い意識の範囲で身につけてしまっているマインド(そうだと思っている)による精神(ものの見え方)の状態から発生する思考などから開放され、もっと大きな意識である神(これは霊の霊とか、更にいと高き意識存在である人神)と融け合いなさいということかも~。と思うところです。
神事には、神の処理と人の処理を一致させなければならない。というのもありました。これは人にあてたメッセージなのか、天に向けたメッセジなのかよくわかりませんが、巷のスピリチュアルメッセージの多くは、人体がそのような事を知らない間にやってくれているような事を言っていますね。
こうやって点と線を結びつけてくだけでも認識が変わってくるものです。