※前回記事の内容とのシンクロ関連:1月25日13:00追加
サナンダ、“新しい神の摂理の守護者”と“仕える者”、2014年に関する霊的指導者達からの答え [サナンダ・クマラ] 翻訳:もりのくまさま 掲載:twinkle-star999さま。

上記のシンクロをどう思うかは感じる人それぞれとして・・・

どのチャネラーもメッセンジャーの名前を出しています。上記リンク先では、サナンダという名前がありますが、実際、そのような名前一つで呼べるような存在なのでしょうか?

そうだとしても、名前に囚われると、チャネラー毎に違うことに、その名前で信じていたことと違う事が書かれていたりする気がするので、疑いが生じ、あっちは偽物、こっちは本物などの、二元的な思考になってしまい、より高次的な自分の視点から自分自身にとって必要な情報を得る事や思考するが難しくなるとう事実があります。

何が言いたいか・・・

同じ名前の神や天使名を使っているチャネラーがいても、結局、自分の理解にマッチしたチャネラーで落ち着きます。でも、かたや、相変わらず、同じ名の神、天使名を使っているチャネラーが他にもいて、折角理解したと思っている最中に全く正反対にも思えるようなことを書いてきたりします。

何故でしょう?人の世界には想念段階が限りなくあるようです。その想念に見合ったレベルで感応しているということになります。想念は思考とも関連しているでしょうから、その者が認識しているレベルでのメッセージが出てくることでしょう。

こうやってみていくと、誰が本物で、偽物でとか、上とか下とかいう、二元的な考え方はなくなってきますし、あれは偽神だとかそんな断定もなくなってきます。寧ろ意識の水準を理解する立場として、全ての意識の集合体として私という存在状態があるという理解の視点に立つ事で、全てに対して慈しみを感じ、感謝を向上していく中で、新たな意識領域の発見、創造、自分自身の理解の向上に繋がるのだと思います。

どんなメッセージ、現実からでも、自分自身にとっての気づきを得る事があれれば、それは、すべての存在である大神から頂いたと言えるのではないでしょうか。メッセージでは神の名がついていますが、大神の意識の一部である現実について起こる物事に神の名はあったでしょうか?(笑)あるのにない。ないのにある。

そのように捉えられるようになってきたら、意識の探求はもっと楽しくなります。結果、全てに感謝できるようになる事でしょう。

誰かが、気づいていても、いなくても、それらの意識の集合の結果の一部として、私があるのです。

現実を見てみた時、とても感謝できない事の方が多いかもしれませんが、そのように思える経験を通して言える私がいうのですから、意識の拡張は誰でも可能なことでしょう。

あるのにない、ないのにある・・・あたかも偶然のように見えるものごと。そのような現実につて、気づこうとし、理解しようとするかしないかという気持ちを持ち合わせ、つかみ取ろうととする事から始まると思います。

それは、それまでの人生でやってきたこととなんらかわりない事に気づくかもしれません。ただ、見えないから難しく感じるだけに過ぎないのかもしれません。そこで、神や天使、過去の神のような偉人といった存在のメッセージを読み取る事で理解を深めることが必要になってくるでしょう。

ただ、それは様々な人々の理解の程度によって歪められている事を念頭において置かなければならなく、それらはあくまでも参考程度のものということです。だからどこかの宗教や神事、導師に従って指示される事をやっていれば自分自身の真実が見つかるかといえば、そんな訳はないだろうと察しがついてくるだろうと思います。

ですが、真実を得ていくとそのような者達が残したものや、言いたかった事がわかってくるように思えるものですが、いくら偉人だかといっても、他人の真実は自分自身にそれと同じ真実が身についていなければわかりませんから、結局、自分自身が向上するよりないということになってきます。

奇跡を見せるようなものは、偽神、悪心であると、多くの教えである理由もそこに見え隠れしているように思います。その意味するところは意識の拡張以外にも理解が必要であるという事ではないでしょうか。単なる意識の拡張だけでは、いくら意識が拡張しても幸せになれないという事だと思います。

このように、今までの自分自身の常識にないものごとを真実から見つけだして理解するのですから、それをつかむ方法を見つけるまでは、うなぎつかみのような状態であることでしょう。しかし、それも、いつも頭の隅に置いていつもの行動をしていれば、ある時、名案が思い浮かぶように、掴みどころが見えてくると思います。

そこで注意すべき点があるとするなら、私の経験でいえば、その名案が浮かんだ時こそ、しっかり考える時間をとり、思い浮かんだ事を実践する計画なり、実践して、謙虚な修正を繰り返し観察力を向上しつつ続けてみることではないかと思います。

何かを掴めるようになるまでに色々思ったりしたことは、後の理解に繋がってきますので無駄にはなっておらず、それ自体が意識を拡張し理解を深める作業だったのではないかと思います。

自分自身に起こる、不思議・・・偶然・・・
そういうところから意識を拡張し理解していく価値は大いにあると思います。

霊能者のように、皆さんが知っているものがあるのを知っているのは当たり前~なんていうような拡張努力の必要ない人もいるかもですが、そのような能力を持ちあわせてなくても認識が可能であるという事です。

そして何よりも霊能者だから波動がわかるから、気功で不思議な事ができるからといって、その者が幸せだろうかと思えるあたりで察しがつくと思いますが、そういう人達がいるというのに、何故、世界は平和になっていないのでしょう?幸せに見えないのでしょう?これは、意識の拡張以外にも精神とより良い現実を実現するためには拡張される意識に見合った理解も必要であるという事なのではないでしょうか。

とは言え、そういった、過去現在(未来)の、いろんな人々が存在しているお陰で、今を感謝できるような理解に至れる立場がある訳で全てに感謝できる理由にもなってくるのです。

ということで、皆様という存在に、全ては神に感謝です。
今日もありがとう♪