先日、記事の中で、意宣=祈り。という言葉遊びをしましたが、今日は、神の意図を持った生命でという意味で、我々が意図を宣せた身であるなら、その意図が成就すれば、それは、意成になるな~とか思っていました。

*祈り→アセンド
*意宣身→意成身=稲荷(神社のご神体)=シリウス他=アセンデッドマスター

連想から、お稲荷さんって、アセンションして神に成った人や何かしらの存在のことでは?とか妄想をしました。

更にググっていると、意成身というのが引っかかりました。チベットやインドあたりの教えの中の言葉に、意成身というのがあるらしいです。

何と、それは、意識だけの存在のことらしいです。面白いことに既に過ぎ去った暗黒の3日間に関するような記述もありました。

今、我々は生きながら無意識の中では、そのような目覚めのプロセスが進行中なのではないかと?

さてさて、神社ですが・・・

有難い意識(存在)の記憶を残しておく目的が神社だったのでは!?と。

意を宣せて・・・意宣身・・・
意が成って・・・意成身・・・

私の体験から考察すると・・・

祈りは、自分の心に向かってするものである。神社や神聖な場所で「物」に向かって祈る事ではなく、自分の心に向かって祈る事であるという自論です。

仮に神社等がワンドやクリスタルのような想念増幅装置だと考えたとしても、まずは自分の中に向かって正しい意図を宣言する事が必要だと思うのです。

そうすると、

教えの名残りとして、祈り、稲荷となったのでは?!とか・・

神社は、祈りの意味を伝えるものだったのでは?!とか・・

上のようにも、下のようにも、と言うように、自然と、そのような形が出来上がったのかも?!とか・・

プッハ-y(^。^)。o0○

なぜ、こんな記事を乗せたかというと、

先日、明らかな光明?(参考HPの写真のようなその光です)を見たからです。

*参考HP:チベット死者の書 by オカメインコの森様
*キーワード:意成身

参考HPにあるように、その光明らしき物を見たということは、

実は、私たちは、12月21日に、肉体を生かしたまま、あの世にいるのでは?!

変な言い方ですが、既に意識は人体の死後の世界に移っていて、

急速アセンション中なのではないかと。

下らない妄想の為に、お付き合いいただき、有難うございました。__;