書くつもりはなかったのですが、書こうと思いました。

↓理由↓

【アセンション展望】 シェルダン 2012年12月25日

↑理由↑

なぜか、先日、今日で、こんな事を思ってしまったのでした・・・以下。

世界が無くなってしまえばいいとか、

誰かがいなくなってしまえばいいとか、

自分が消え去ってしまえばいいとか思うのは、

気づいていなくとも波動が高くなるにつれて、

無条件の愛を手に入れる一歩手前であり、

自然とそうなりうる通過儀礼と言えるものかもしれない。

そんなときに、

思い通りにいかないからとか、

思い通りにならなかったからと、

それがどんな理由であろうと恐怖や不愉快の種をまき散らし、

愛のない行動をしてしまえば、

内面での波動向上のチャンスを失ってしまい、

外面では正義の面をかぶった悪に成り下がり、

愚の骨頂になるのである。

正義という仮面をかぶった独善的な、

始末におえない悪党になるか、

真の正義人として愛になれるかの瀬戸際であるのだ。

「思い通り・・・」とは、文字通り、言葉の中に、

許しがたい現実「条件」が存在するのであるが、

そういうときこそが、真の正義になれるチャンスであろう。

思うようにならない、その条件の中で、

他人にも自分にも恐怖に因む物事をまき散らさないよう、

勇気を持って物事を選択するか、創造する事が必要である。

そのためには、人類の為に人命を疎かにしたり、

真に役に立たない欲があっては成らない。

正義とは、(無条件の)愛である神人になれるかどうかの、

通過儀礼的な言葉ではないだろうか。

この世の中、

真の正義としての、

無条件の愛を貫こうとすれば、

かなりの障害だらけである。

特にお上の者には大変な話である。