では14回目の授業

2-14. 東アジアの民族運動

朝鮮史を語る時、大院君、高宗親政、江華島事件、壬午軍乱、甲申政変、天津条約、甲午農民戦争と進むのである。ところが他の地域と同じく「甲午農民戦争だけ」で済ませる。これでは歴史が理解できない。

 

さて、甲午農民戦争(カップノンミンチョンジェン)。

<第1次甲午農民戦争>

これは日本の横暴が主因である。また地方官,胥吏の中間収奪の甚だしさも起因している。東学(ドンハッ)の非暴力主義を否定する全琫順(チョンポンジュン)らによって反乱が起こされる。

しかも全州(チョンジュ)で攻防中、天津条約を口実にした日本の派兵により停戦した。

 

<第2次甲午農民戦争>

1894年7月23日戦争(日本語では王宮襲撃事件や京城事件とも言い定訳がない)で成立した日本傀儡政権が、7月26日に大日本大朝鮮両国盟約条約を結んだとした。

農民軍は自治を施行した。これを執綱(ジプカン)体制という。11月20日、日本軍,傀儡軍と農民軍との戦闘が始まった。これを第2次甲午農民戦争という。

(執筆者作図。無断転載を禁じる)

日本陸軍参謀本部次長の川上操六は「ことごとく殺戮しなければならない」という残虐な命令を下した。

つまり、日本が明治維新後海外で最初に起こした民衆虐殺事件である。

 

(2) 日清戦争(中国では甲午戦争という)

朝鮮に傀儡政権を樹立し、7月25日豊島(ブンド)沖海戦で清艦隊を襲撃した。日本の常套手段である宣戦布告前の奇襲である。その後北進し、

(9月15日、平譲(ピャンヤン)戦役)

国境を越え、大連(dàlián),旅順(lǚshùn)を占領した。しかしそれだけではなかった。


中国大陸山東半島に上陸している。威海衛の北方艦隊の拠点を潰そうとした。威海城鎮の東から日本軍主力が攻略している。日清戦争は朝鮮半島からの侵略だけでない

 

さらに、旅順では11月21日という戦闘終了後に軍民いとわず誰にせよ殺戮された旅順大虐殺が起こされる。首謀者は第2軍第1師団長山地元治陸中将である。外人従軍記者が告発した。

(11月22日旅順口。以上3枚の写真は、劉公島にある中国甲午戦争博物館陳列館にて)

では、甲午戦争(日清戦争)の結末。ここでも問題がある。日本の開戦は宣戦布告前の奇襲と、戦闘中の虐殺、集結に向けての条約交換時の侵略である。この三つの行為は一貫している。

 

日清戦争(甲午戦争)の講和開始後、日本は澎湖(pénghú)諸島を侵略し、略取している、これが下関(马关)条約で台湾割譲を迫る格好の材料となった。

(執筆者作図。無断転載を禁じる)

日本の台湾侵略を日本の台湾征服戦争という。日本軍は約76,000人を投入、中国人14,000人を殺害した。

こうしてアジアで唯一の植民地宗主国になった。その評価は64頁で間違いない。

また下関(马关)条約第1条で清は朝鮮が自主独立の国であると表明した。すなわち同じように朝貢関係にあった琉球の日本併合を認めたことになる。

 

探究活動1.は、東学(ドンハッ)と全琫順(チョンポンジュン)が違うのか、が良い。

探究活動2.は、これで良い。