新飍轰の日記 【特に意味は無いけど思うこと。】 | ひゅご / ツキらび

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ラフな日記みたいな感じに更新していきたいと考えております。
更新頻度は気分で変わると思います。※要は不定期です。
ただ、特に意味はありませんが、偶に最後に何かフレーズを言いたいと思います。

 

以下の内容は特定の団体や人物、場所、出来事に対しての批判、非難、否定、誹謗、中傷、名誉毀損や共感、擁護等の意図もそれを助長するつもりも無いです。

あくまで一意見なので予めご了承の上、お読みください。

 

虐められた人がよく「虐めた側は覚えてない」って言うけど、虐めた側がとぼけたり、嘘ついたりする事もあるやろうけど、もしかしたら、虐めたつもりじゃないかも知れへんし、被害者側の主張が部分的過ぎて分かりにくいとかも、あるかも知れへん。

 

「こうされた」、「ああされた」やったら、主観的やから、勿論自分の視点もあっていいけど、“虐めたとされる”側の視点も理解しなければならないと思う。

 

例えば『いつ・何処で・どの様に』という具体的に詳細な情報を記憶の中から想起させないといけない。

 

こうする事で、虐めた側が思い出したり、はたまたその時近くに居た人も思い出して、自分以外の傍観的な意見や情報が得られる(勿論、とぼけているというのも否定はしてない)

 

つまり、仮にそれが先生とか大人にチクっているという状況なら、この工程を踏む事で、より俯瞰的な考慮を行う事ができる。

 

あくまでどれだけ頑張っても、先生にチクる時点で、先生からしたら全部2次情報やから、偏った意見が多かったら、それこそ、2次的な虐めが発生するし。

とにかく、忘れたんじゃなくて、確かに気に留めてないかも知れへんけど、単に遊び半分で、当人自身は虐めとるスタンスじゃなかった可能性もある。

 

その悪気の無さは完膚なきまでに罰されると捻くれて、そういう意味ではより一層の悪化をしてしまうと思われる。

 

自殺についての記事でも書きましたが、虐める側も必ず何処かで自覚し、罪悪感・背徳感を感じていると思いますので、撲滅感を掲げすぎるとそれこそ、自己満足(虐められる側に偏る)になります。

 

話は変わりますが、ハラスメント問題には若い世代、年上の世代共々色々な観念を持っていると思います。

 

それも、ハラスメントは最近では基準がそもそも主観が軸となるので、個々のこだわりにほとんど適応なので、ある意味獏前的、ある意味曖昧なものも多い印象があります。

 

このご時世ですから、性別、年代問わず、個々に思うところがあるのではないでしょうか。

 

若い世代、それも『1人』がストライキ感覚で、はっきり言えば『気に入らない人』を訴訟できるので、個人の人権が強い武器になった様な印象があるかと思います。

 

一昔前では企業が個人を訴えるのが、今は個人が企業を訴えられるので、しかも、今ではサービスが盛んなので、弁護士の方も安く安くしていっている中で、昔ほどは裁判を起こすのは難しく無くなっている感じがします。

 

とりあえず、働き方改革で、苦にならない仕事が求められますが、変な話、逆にラフ過ぎると極端な話、ゆくゆくは公私混同とほぼほぼ変わらないという感じになる様な気もします。

 

反抗期の子どもが親に屁理屈を言ったり、捻くれた様な関わり方をしたり、そもそも関わらない(素っ気無い)という人もいると思います。

 

しかも、人間は比較的楽な方に向かう傾向()にあるので、家で思う様にいかない場合は当然、仕事場でストレス発散するというパターンもあるかと思います。

 

ただ、我慢と言っても、どちらにも当てはまって、若い世代も感じていれば。

年上の世代も、ニュアンスが違って、同じスタンスでいると思います。

 

況してや、ジェネレーションギャップもとても感じると思いますし、当然そのパラダイムシフトに困惑・動揺すると思います(同じ立場ならと考えても断然年上の世代の方がしんどいです)

 

ある種、因果応報? というよりは復讐? 報復? と言うべきか、暴発と言うべきか。

そんな感じでゆくゆくはいたちごっことか堂々巡りになる様な感じもします。

 

『喧嘩両成敗』という言葉もありますし、我が身も大事かも知れませんが、もう少し周りの人に気を付けて見ては如何でしょうか。

 

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