巷では、よく自分の好きなことをしたら成功するとか、人生うまくいくと言われます。

 

ですが実のところ、好きなことをしててもうまくいくとは限りません。

 

なぜなら、成功するやり方と失敗するやり方があるからです。

 

 

まず、何事も成功を納めるには、やはり知識であれ、技術であれ、トータルの能力がある一定の水準を越えないといけません。

 

ですから、好きなことをする際に、果たして改善の意思、よりよくしたいという気持ちがその裏にあるかどうかが、まず第一のキーポイントになります。

 

要するに、ただやってること自体を楽しんでいたら、それは違うということです。

 

これはまさしく、有名な慣用句どおりの、

 

「下手の横好き」

 

でしかありません。

 

 

本当にするべきことというのは、これです。

 

やってて何か大変だし疲れるんだけど、心の奥に清々しさを感じる。

充実感がある。

 

だからこそ、好きなんだ。

自分はその、頑張った後に感じる感覚が好きなんだ。

 

 

これこそが、続けたら成功できるであろう好きなことに対しての向き合い方です。

どこまで行けるかはさておき、必ずどんどん伸びていきます。

 

なぜなら、疲れるということは、意識というエネルギーを使っているからです。

 

どうしたら能力を伸ばせるか、という意識を抱いている状態です。

 

能力は、伸ばそうという意識を持たなければ伸びません。

 

何事も向上するには、自分の体の細胞の中に存在する、過去の抽象的な情報を正しい抽象的な情報によって書き換えなければならないからです。

 

この正しい情報、というところがポイントで、間違った情報のインストールはエネルギーを必要としないのです。

 

それはなぜ多くの人が努力をしないと堕落的な方向に流されてしまうのか、という説明にもなります。

 

また、何事も頭を使わずに何となく練習してたら、悪い癖が付くだけなのはわかりますよね。

 

 

とはいえ、その対象自体が好き、楽しいと思う気持ちは大事です。

 

好き、楽しいという気持ちは感情と結びつき、感情は意識に対するエネルギー源となります。

 

そのエネルギー源を、能力の向上に使用できるのです。

 

ですから、向上の意思と好きという気持ち。

 

これらが合わさると、能力の成長スピードは最大限に加速します。

 

もともと上手でなくても、この感覚がある人は伸び方の次元が違うので、もともと上手な人も普通に抜かしてしまいます。

 

成長の心理的メカニズムとしては、理に適っています。

 

 

逆に考えると、辛いことを我慢して頑張る努力の問題点も見えてきます。

 

実は我慢というやり方も、恐れであったり怒りであったりという感情を利用するやり方でエネルギーを生み出していますが、この場合のエネルギーは心体の健康から引っ張って補うことになります。

 

それが、ストレスです。

つまり、等価交換のような形になります。

 

そのため、辛いことを我慢して頑張っても能力は伸びますが、本質的な問題の解決になりません。

 

よって、ただ楽しむのもだめ、我慢するのもだめなのです。

 

 

向上の意識という強い思いを抱きつつ、楽しさをそのためのエネルギーとして活用する、というイメージです。

 

楽しいという感情から進化した、充実感というエネルギーになります。

 

これは、意識とエネルギーの次元が上がった状態に当たります。

 

この高次元のエネルギーによって、ストレスを溜めるという偏りを産まずしてより能力を伸ばせるという、非常に都合の良い精神状態が実現できるのです。

 

 

言葉を替えると、楽しい気持ちとほどほどの負担、うまくいかない際の捉え方等が絶妙なバランスで融合した際にベストな状態になるので、もし将来的に職にするくらいまで考えているなら、そうなれるようにイメージをしてください。

 

厳密に言うとその感情というのは、悔しさや怒り、不安等が入り交ざってもいいのですが、とにかくバランス感覚が重要になってきます。

 

一見スピリチュアルかと思う人もいるかも知れませんが、十分に哲学及び心理学や脳科学でも通る話なので、普段から頭に入れておくとこれからの人生でプラスになると思います。

 

 

結局のところ、ただの趣味としてやっているのか、それとも自分の成長や今後の人生に何らかの形でプラスになることをイメージしてやっているのか。

 

もしただの趣味であれば、何となく漠然とやっていてもいいですけど、それだと能力の伸びは頭打ちになりますよ、こうやると結果が全然変わってきますよ、という話です。

 

すぐにはできなくても、常に理想の状態を意識していれば、徐々にではありますがだんだん近づいていきます。

 

その意味で、理想の状態を知るというのは本当に重要なことです。

仏教の用語として、「空」「色」というのがあります。

 

これらは般若心経にも出てくる非常に根源的かつ重要な概念なので、今回はその解説をしたいと思います。

 

 

まず「空」は、一般的には実態がないことだと言われています。

 

つまり、簡単に言えばになります。

 

一方で「色」ですが、これは逆に実態のある物質や出来事、つまりは現実のことです。

 

ですから、

 

色不異空

 

という言葉が般若心経に出てきますが、これは現実は無であるという意味です。

 

 

 

この説明では、どういう意味か全くわからないと思います。

 

しかし、その次のフレーズで

 

空不異色

 

という言葉が出てきます。

 

ここでのポイントは、なぜわざわざ逆にして言い直してるのか、ということです。

 

理由は、無は現実であるからです。

 

やはり、全くわからないかもしれません。

 

 

 

これを理解するには、まず本当のところ、無とは何かを考える必要があります。

 

実は無とは、別に何もない状態のことではありません。

 

私達のの世界のことです。

 

 

一つ例を挙げましょう。

 

たとえば、お金に異常に執着して、お金がないと不安で仕方ない人がいます。

 

その一方で、逆に別にお金がなくてもうまくやっていけるという、何の根拠もない自信がある人もいます。

こういった人はお金がなくても幸せを感じることができます。

 

両者は、お金がないという現実自体は同じです。

 

つまり、空(心)の在り方を決めるのは自分がその色(物質や出来事といった現実)自体ではなくて、その色に対してどんな意識を持つか、ということが真実になります。

 

だからこそ、色不異空、色は空に他ならず

 

となります。

 

 

ではその逆、空不異色はどうでしょうか。

 

確かに、自分が主観的にポジティブなことを思い込んでいたら、それがその人の世界の中では真実となります。

 

でも客観的には違うのであれば、それは「色」にはなりません。

 

であれば、

 

空不異色

 

は間違っているということになります。

 

 

がもちろん、これは間違いではありません。

 

どういう意味か。

 

心で思ったことを、物理的にも全て実現しているのが今の自分の人生であるということです。

 

これはスピリチュアルではよく言われることでありますが、ピンと来ない方もたくさんいると思うので、できる範囲内で説明をしていきたいと思います。

 

 

たとえば、自分が本気でお金持ちになりたいと思ったとします。

 

そうしたら、まず自分の行動が変わります。

 

行動が変わると、当然結果も変わります。

 

ですからこの時点で、強く願えば願うほどお金持ちに近づくのは理屈に適ってますよね。

 

ですが、実はそれだけに留まりません。

 

「空」、つまり心というのは、現象にも影響を与えます。

 

つまり、結果としてお金持ちになるような話を引き寄せたりすることもできるのです。

 

 

よく言われる引き寄せの法則というのは、このことを言っているのです。

 

すなわち、空は直接的に物質のみならず、間接的に現象にも影響を与えることができる。

 

 

また、仏教は受想行識という、人間の認識の課程も本来は存在しないとして否定しています。

 

これは色(物質)を受信(受)した意識や想像したこと(想)、行ったこと(行)を、自分の思考フィルターを通して認識(識)するという課程を表す言葉ですが、受想行識だとそれは色の延長線上なので間違いですが、空から色であれば、心が先なので真実になります。

 

受け身ではなく、自発であるということです。

 

よって、

 

空不異色

 

となります。

 

 

 

ただ、同時に知っておいて頂きたいことがあります。

 

それは、空の偏りについてです。

 

まず空は、精神エネルギーという概念に変換できます。

 

これはどういうことかというと、前回の記事で自分の感情、物質を含むあらゆる事象は全てエネルギーに変換できると説明しました。

 

 

そして個人が保有する総エネルギー量は、それぞれに異なります。

 

つまり、個人エネルギー(空)が変換された一つの形であるお金という物質(色)を多く持てば持つほど、そこに自分の保有するエネルギーを消費することになります。

 

そのぶん他のところに回せるエネルギー量が小さくなります。

 

要するに、あまりにも強く一つのことを願いすぎたり、願いのスケールが自分の保有エネルギー量と見合っていないと、結果としてその対象だけにエネルギーが偏りすぎて、他で様々な問題を抱えるようになるということです。

 

 

極端な話、エネルギーの借金をすることもできます。

 

こうなると、エネルギーが完全に不足した状態になるので、そのまま人生自体が破産してしまうこともあり得るのです。

 

自分の心の深いところに存在する本当の自分の意思である真我は、このことをわかっています。

 

 

だからこそ、たとえ自分の表面上の意識である小我が本気で望んでも、ブレーキを掛けてバランスを取ろうとすることがあります。

 

ですから、仮に自分が何かを本気で望んでいるのに手に入らない、ということがあったとしても、決して悲観する必要はありません。

 

これは全く悪いことではなく、もっと自分の器自体(保有エネルギー量)を上げることを先にしないと、あとで破滅しては元も子もないことをわかっている真の自分による働き掛けだからです。

 

 

 

ちなみに自分の総保有エネルギーの上げ方は、大きく二種類あります。

 

「奪う」「与える」です。

 

「奪う」は即効性がありますが、将来的には失うことになります。

 

逆に「与える」は最初は失いますが、将来的には還元して返ってくることになります。

 

 

奪う行為で得たエネルギーは必ず失うので、それ以上のペースで奪い続ける必要があります。

 

が、それにはどうしても限界が来ます。

 

奪い続けた人物が最後に破滅するのは、よく聞く話ですよね。

 

特に今の時代は、それがより顕著です。

 

 

そしてここに、般若心経に繋がるところがあります。

 

奪ったもの「色」はエネルギーとして出ていき「空」になります。

 

奪う人は物欲「色」先行の人であり、こういった方々は思いやりや感謝の心「空」を備えていないので、結局は失うだけ、つまり無の意味の方の「空」になるということです。

 

つまり

 

色即是空

 

であり、逆に

 

与える行為は現実的には思いやりや感謝の心「空」であり、後にエネルギーとして入ってきて「色」、すなわち物質になるから

 

空即是色

 

となります。

 

これが、般若心経においてわざわざ逆から言う言葉が存在する理由です。

 

 

ですから仏教は、空を突き詰めた先、精神エネルギーの総量を高めていった先に悟りの域があり、その域では全てが

 

空不異色

 

である、ということを説いているのです。

 

 

 

私達が本質的にはエネルギーの存在であって、この世界は全てエネルギーが具現化されたものである。

 

という結論は、スピリチュアルとか精神系を突き詰めたところにある。

 

この話がピンとくる人は、そこそこいるのではないかと思う。

 

 

そして意識が深くなるほど、次元が高くなるほどにそのエネルギーの量・質も比例して全く別物になっていく。

 

結果として、一言で言うとその人の人生のスケール感が変わる。

 

だから引き寄せとかもできるし、自分の願いの実現、つまり思い通りのことを現実化できるようになる。

 

そしてその規模は、意識の次元に比例する。

 

この辺りも、そういう系を学んでる人達の大概は真実だとわかっている。

 

 

しかし。

 

深いところというのは、ちゃんと理解するのが本当に難しい。

 

実際、多くの自分が理解してると思って情報発信してる人達は、その本当の意味を理解してない。

 

何かというと、例えば深いところの感覚というのは、言葉としてはより抽象的になる。

 

でもその言葉を理解したつもりになって具体的に感じたら、たとえそれが全く同じ言葉であっても、正しい感覚にはならない。

 

要するに、勉強して知識を蓄えたところで、それだけでは全く意味がないということ。

 

まるで自分の発信している情報を受信し、学べば人生が変わるとか、願いが叶うとか自分が救うことができるとかそういう言い方をする人が多いけど、実際はその受信した相手がその情報から何を感じて、心に何を構築できるかに掛かっている。

 

だから本当に重要なのは、実際の情報ではなくてその裏側にある意識感覚。

 

例えば意識が本当の意味で高い人と一緒にいたら、何となく感化されて自分も引き上げられて成長する。

 

たとえ実際の具体的な情報が何もなくても。

 

だから筆者として言いたいことは、表面上の情報はあくまでインスパイアの材料として考えること。

それでいけると思った瞬間に、意識は具体化されて、次元が下がる。

 

これが本当の意味での深みのある意識である。

 

次元が高い意識ほど、偏見が小さくなる。

 

偏見というのは、説明するのが少し難しいけど、一言で言うなら純粋ということ。

 

だからこそ、そういう引き寄せの仕組みなどを理解してやり方を情報として発信したり、コンサルをしている人達よりも、何か全く別の分野に真剣に取り組んでいる人の方が、実は意識が高かったりする。

 

そのような人達は、頭の理屈で理解しているわけじゃない。

 

でも、心が理屈を理解している。

 

これが偏見がない、ということ。

 

だから意識が深いところと繋がって、エネルギーの次元が変わる。

 

頭で理屈を理解して、それに従ってやってる時点で、意識が具体化される。

 

だから、本当の深い意識は芽生えない。

 

その時点で、純粋じゃないから。

 

 

 

とはいえ、表面上の情報自体に価値がないわけではもちろんなく、それは知識として基本的にはあった方が良いもの。

 

特に現時点であまりうまくいってないとか、もっと良くなったら良いのにと思うけど将来良くなっていくイメージができないのであれば、知識を付けることがその流れを変えるためにまずするべきことになってくる。

 

でもうまくいってると思うなら、逆に知識が邪魔になることもある。

 

何故なら、意識が具体化されて次元が下がるから。

 

何となく、漠然と仕組みが伝わったら幸いです。

 

人生には、幸運な出来事と不運な出来事がある。

 

 

といっても、何が幸運で何が不運なのか。

 

それは世間一般の感覚、つまり客観的なものとしてあるが、結局最終的には自分自身、主観的なものである。

 

にも関わらず、私たちは得てして客観的な幸運、不運の基準を自分に当て嵌めて、一喜一憂している。

 

それは、全く無駄で意味のないことではないだろうか。

 

あくまで、幸運・不運は最終的には主観だ。

 

であるなら、できるだけ多くの不運を幸運として捉えることができれば、それだけ事実上不運が減るということだ。

 

つまり、不運は捉え方で減らすことができる。

 

その人にとっては幸運が増えるわけだから、結果として人よりも運の良い人になる。

 

自分が運が悪いと思っている人のほとんどは、客観的な不運をそのまま捉えて、さらに客観的に幸運に分類されることには鈍感だったりする。

 

しかも幸運だと感じたことは、印象が薄くすぐに忘れてしまうのに、不運だと感じたことはしっかり覚えている。

 

 

もっと自分が幸運であるという考え方、そして意識を自分自身でしていかないと。

 

それが本当の意味で自立するということである。

 

それを理屈だけではなくて、心のできる限り深い部分に理解させなければならない。

 

 

 

そして、私たちが絶対に忘れてはならない現実がある。

 

それは、全ての物事は、長い目で見るとどっちに転ぶか全くわからないということだ。

 

人間万事塞翁が馬ということわざがある。

 

これは簡単に言えば、客観的に幸運や不運だと思われるような出来事があっても、将来的にはそれが逆転してしまうことが往々にしてある、というもの。

 

 

もちろん、あくまで逆になる可能性があるというだけで、将来的にも幸運は幸運のまま、不幸は不幸のままなのかもしれない。

 

しかしそもそもの話をすれば、すでに終わった出来事に対してネガティブに考えても、何一つ良いことがないだろう。

 

だったら、せめて一筋の光があるわけだから、それに期待してプラス思考をし、前に進むことが理屈上は完全に正しいはず。

 

では何故それをせずに、わざわざネガティブに考えてしまうのか。

 

何故なら、そっちの方が楽だから。

 

不思議なことだが、人間にはネガティブに考えたい衝動が、心の奥底にある。

 

そこを変えないと。

 

 

それともう一つ。

 

実は深いところの幸運不運というのは、将来的には客観的な幸運不運の逆になって現れる。

 

何故なら、辛い出来事、大変な思いを、何とか理由をこじつけてプラスに捉えることは、自分の成長に繋がるからだ。

 

不運によって引き起こされた苦境を何とか乗り越えようともがき、葛藤したのであれば、その経験は間違いなく将来の財産、宝になる。

 

逆に、幸運は楽をして楽しんだりしているかも知れないが、何も得られていない。

 

であれば将来において幸運なことが起こる確率は、経験と能力の底上げという財産を得た分、不運だったケースの方が高くなるということになる。

 

となると、その場では客観的に不運であったとしても、その苦境の時間さえ耐え凌げば、あとはむしろ幸運しか残らない、ということになる。

 

だからこそ、幸運・不運の正しい考え方を固められるようにすることが、人生をもっと安定して楽しく生きる一つのコツなのではないかな、と思う。

 

 

そしてさらにもう一つ。

 

客観的な幸せに対する依存に依る幸せは長くは続かない。だから客観的な幸運で幸せな気分になっても、やがてその幸せに対して鈍感になっていき、にも関わらず失う恐怖だけが残る。

 

よって客観的には幸せであっても、主観的な幸せを実現するのは難しくなる。

 

逆にたとえ客観的な不運があっても、それが基準になることでちょっとした出来事に、幸せを感じられるようになったりする。

 

それに、高いところを維持するのは大変。低いところから上がる方が簡単だ。

 

つまり客観的には幸せでない方が、主観的な幸せは実現しやすいということ。

 

 

だからこそ、目先の出来事に振り回されることがないようにしたい。

 

主観的な幸せの実現を目指しましょう。

 

人間には、メンタルが強い人と弱い人がいる。

 

という表現をよく耳にしますよね。

 

メンタルが強い人は逆境にもポジティブに向き合えるけど、メンタルが弱い人はちょっと何かあるとすぐネガティブになって、くよくよしてしまうという。

 

ですが、個人的な見解を述べると、この表現はあんまり良くないと思います。

 

なぜならメンタルが強いと表現すると、恐らく誤解を招くからです。

 

というのは、私たちが潜在意識下で目指している心の在り方に対して少しイメージがズレてしまうのです。

 

それでは、説明していきます。

 

 

 

実は世間で言うメンタルの強い人には、二種類います。

 

一つは、本当にメンタルが強く、強い気を持っていて、逆境でも何とか突破してやろうという前向きな気持ちを保てる人。

 

多くの人には、こっちの方がメンタルが強い人のイメージだと思います。

 

こちらを、Aタイプとします。

 

 

では、もう片方のタイプのメンタルが強い人はというと。

 

こちらはそもそも、別にその逆境を問題だと認識をしていない人になります。

 

問題ではなく、ただのクイズであり、ゲームだと思って捉えている人。

 

こっちのタイプの人にとって、逆境を乗り越えることは遊びでしかありません。

 

ですから、そもそもメンタルが強いとか、そういう話ではないのです。

 

こちらをBタイプとします。

 

 

 

本当にメンタルが強くて、逆境でも折れずに強い意志で立ち向かうAタイプの人は、確かにかっこいいかも知れません。

 

しかしAタイプは、莫大なエネルギーを消耗するし、その結果としてストレス等の大きな代償を支払うことになります。

 

そして逆境が大きくなればなるほど、そのストレスも比例して大きくなります。

 

 

その一方でBタイプの人。

 

こちらはそもそも問題という認識そのものがないので、どうやってそのクエストを攻略するか、という捉え方になります。

 

ですから別にストレスを感じることはないどころか、楽しんでやっているので、周りにも良い影響を与えることができます。

 

 

実は私たちが直面している逆境の多くというのは、よくよく考えたら全然大したことがない、という状況は結構あります。

 

確かに、戦時中や戦後しばらくの間というのは、生きるか死ぬかであったり、まともに食べられないとかとんでもないところに住まないといけなかったり、死活問題と言えるような逆境に直面するリスクは多くあったでしょう。

 

しかし現代社会においては、社会福祉という基盤が当時とは比べ物にならないくらいできて、生活を最低限保証するという仕組みもあります。

 

では何が問題になっているかと言えば、それはプライドです。

 

たとえばまともに働けなくなってしまったから生活保護を受けよう、とはならない人がいます。

 

やはり周りの目が気になったり、役所の職員の態度も気になったりするからです。

 

結局、十分でない収入であったり、限界が近づいている身体を駆使しながら自力で頑張り続けることを選択します。

 

プライドで頑張る人は、確実にAタイプになります。

 

できる限り、周りに自分を良く見せなければならない。

 

負け組になったら生きてる価値もない。

 

こんな気持ちが根底にあるために、まるで自分の命が危険に晒されているかのような心境となり、逆境をゲーム感覚で捉えることができないのです。

 

 

 

一方でBタイプの人。

 

こちらももちろん、対応できる逆境には限界があります。

 

しかし、こちらはそもそもプライドでやってないので、いざとなったらすっと諦めることができます。

 

自分をとことん追い込んで、限界を超えてまで頑張ることに意味を見出していない。

 

なので、たとえ逆境が大きくなっても、それが実現不可能じゃないかとなっても、潰れるのではなくて受け入れることができます。

 

もっとも、それもその人の器量に比例するので、器の大きな人ほど耐えられる負荷も大きくなります。

 

ただ冒頭でも触れたように、Bタイプの場合だと自分が楽しいと感じる明るい心、考え方を貫く強さ、という意味でメンタル的にぐっと押し返す感じではないので、メンタルが強いというとちょっと違う気もしますが。

 

あくまで自然体で、無理をしていないのが特徴です。

 

 

 

さて、あなたはどちらのメンタルが強いタイプになりたいでしょうか。

 

確かにAタイプの人の推進力も非常に強いのですが、その分の代償があまりにも大きすぎます。

 

Aタイプの人が膨大なエネルギーを持つと力で支配しようとする独裁者的な人物になるため、現代社会、特にこれからの時代には間違いなく合わないでしょう。

 

自分を受け入れ、等身大の自分で努力を重ねていった方が、素敵な人生を送れるのではないでしょうか。

 

とはいえ、Bタイプであってもメンタルが明らかに弱かったら意味がありません。

 

メンタルが明らかに弱いBタイプだと、簡単に諦めてしまって、成果がなかなか出せないからです。

 

 

どちらにしても、自分を成長させる努力は必要ということを、決して忘れないでください。

 

ただしBタイプの努力の仕方は少し特殊なので、当ブログの他の記事等も読んで参考にしてみてくださいね。