あまりにも変わらない廃駅 - 富内線・富内駅【軽自動車で700kmドライブ①】 | 北海道限定の鉄道ブログ

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富内線。日高線の鵡川駅から分岐し、穂別・富内と伸びていた線路で、珍しく(?)線路名称となっている駅より先まで線路が伸びた路線です。富内から先は、振内を経由して日高町…今の道の駅ひだかがある場所までの結ぶ路線でした。

 

そんな中でも、当初は終点だったが、延伸によって途中駅に変わったのが富内駅です。もともとの終点だったことから、当時は集落も大きかったんじゃないでしょうか。

 

 そんな富内駅、廃止から既に28年ですが、今でも現役なんじゃないかというほど綺麗に残っています。今回は、富内駅から保存車をめぐっていきます。

 以前から雑誌等でこの駅のことは見ていましたが、とにかく現役っぽく残っているようでしたので、いつか行きたいと思っていたところです。

 

さて、早速駅構内を見ていきましょう。まずは駅舎を出て左側、鵡川駅・苫小牧駅方向です。

富内駅は、かつては終点駅だったということもあり、線路も1本ではありません。現時点で残っている線路は、2面2線の上下本線。これに貨物ホーム跡(保線用?)と思われる1線の3線です。

 

 写真右のホームの裏側に3番線がありましたが、こちらは線路が撤去さており、本線からの分岐器だけが残っています。また、2番線のホームはどうも敗戦後に作り直されてるみたいで、ホームの高さが明らかに旅客車両の高さと一致していません。(めっちゃ高いです)

 

それにしても…腕木式の信号機もしっかり残っていて、ちょっと草が多いこと以外、ほぼ現役の駅みたいです。廃駅として見ても、つい数年前に廃止されたような現役感。

 

…と、この写真の中央に、一応の本命があります。いや、ここまで駅が立派だと保存車がちょっとおまけ感がありますね(;'∀')

 

 

スハ45-26とオハフ33-1568です。この手の旧型客車の廃車体で良く行われていた、ライダーハウスとして転用されたものの一つの用です。そのため、ライダーハウス流用系でよく見る、謎の塗装変更がなされています。ライダーハウス自体は、かなり前から営業していないようで、とても車内には入れそうにありませんでした。

 

筆者は旧型客車は専門外のため、車両のことはよくわかりませんが、画像手前のスハ45は、一般的な43系の中間車両のようです。

 ですが、後ろのオハフ33-1568はちょっと特殊な車両。もともと本州で使用していたオハ35-1053を、後年の北海道で遜色なく使用できるように改造し、オハ35-1502として生まれ変わっています。これを、さらに緩急車(筆者としては、最後尾に連結できる車両という認識でありますが)に改造し、その結果現在の車番となったようです。2度の改造を受け、推定2両しかいなかった貴重な車両…と言いたいですけど、旧型客車って手造りのオンリーワンがいっぱいあるイメージなので、もう全部貴重かも?です☆

 

そんな2両の客車が保存…というか、この場合は放置に近い状況ですかね。でも、塗装等は奇麗で、もしかするとお手入れされているのかもしれません。

 

駅をさらに散策してみましょう。まずは鵡川駅方向へ

分岐器のあたりまで来てみました。でかでかと写っているのがいわゆる元3番線(ホーム番号は無かったらしいですが)への分岐、奥に1-2番線の分岐が残っています。

 

こちらが1-2番線の分岐、撮りそびれましたが、この先に貨物線?への分岐がしっかり残っています。…と、これとは別に、左に怪しいオブジェクトがありますね。

ソレっぽい看板は見当たらず、何か貨車でも発射したかったのか、それともC62を持ってきて宇宙でも目指そうとしたのか「よく加工出来ましたね…」と思えるようなレールがありました。

 

こういうアングルだと、どこからを付け替えたのかがよくわかります。途中までは3番線への元々のレール、明らかに角度のついている部分から先が、謎のオブジェとして後から付けたレールといったところでしょう。

 

その先は、道路が横切るところ = 現役時の踏切 のあたりまで残っていました。トロッコか何かでイベントをやっていた名残でしょうか、線路端にきちんと枕木が設置されていました。

 

踏切ポイントからさらに鵡川方は道路になっています。「俺が富内線だ」が出来ますが、浄水場までの200~300mくらいしかなかったのと、使われていない道路のせいか、落下物が多かったので、車での突入はあまりお勧めしないです。

 

さて、今度は富内駅より日高町側を見てみましょう。富内駅の開業は1923年で、国鉄ではなく北海道鉄道時代に完成していましたが、富内駅より先の開業は戦後の1958年で、富内駅は30年以上も終点駅を務めていました。

 

 筆者が一番びっくりしたのがこちら。廃線跡だというのに踏切が完全体で残っています。この踏切、車で通れるマジの道路なんですよ。遮断機もしっかり残っていて、ここだけ見ると筆者が線路に不法侵入している状況にしか見えません(-。-)y-゜゜゜

 

さて、駅の先にも線路が伸びているようですので、先まで進んでみましょう。富内線の一部が残っている、みたいな話は聞いたことないので、まぁ伸びているとしてもちょっとでしょうし…

 

・・・と、少し歩いたところから富内駅を見てみます。

こちらも1-2番線の分岐(奥)と、線路が途切れていますが、3番線跡への分岐もしっかり残っています。いや、本当ここまでしっかり残っていると散策していて楽しいです(笑)

 

駅から見ると、この付近でレールが見えなくなっていたので、レールが現存するのはこのあたりまで

・・・終わっていませんでした。向かって奥が日高町方向です。見間違いでしょうか、きれいなカーブの線路が続いています。もう200mは歩いたんですけど…。

 実をいうと、筆者は富内駅の周囲がこんなに残っているとは知らず(流石に、999レールのあたりは知ってたのですが)、この時点でだいぶドン引き状態になってます。

 

 ですが、ここまで来たらヤケです。あんまり虫もいないですし、さすがに横切る道路が出てくる頃には、問答無用でレールが無くなるはず…とドキドキしながら歩いてきます。一緒に来る?と聞いたら待っている、と言っていた同行者を車に置き去りにし、車の鍵は私のズボンのポケット。これは失敗したな…と思いつつ、100mでしょうか、

 

 

無事ゴーーーーーーーーーーーーーーーール!!!!!!!!

 

レールが途切れててうれしいことなんて、もう一生でないんじゃないでしょうか。

途切れてて悲しい!と思うことは多々ありますけども…。

 

 予想通り、1本先の横切る道路の手前でぷっつりと途切れていました。こちらも、廃線後のイベント?で車両を走らせる歳の滑走対策なのか、枕木が設置されています。そういえば、途中には軌道自転車2台と、エンジン付きのタイプが1台いたので、やはり美深のようなトロッコ鉄道をやっていたのですね。

 

いや、このあたりは、駅近くで簡単に列車を撮れる撮影スポット間違いなしですわ。

 

ちなみに:横断する道路には踏切を埋めたような跡が残っていましたが、その先はどこにレールがあったのかわからないほど、綺麗さっぱり跡が無くなっていました。ですが、踏切と思われる場所に、踏切の機械が寝ているのは確認されました。撤去されてなかったんですね…。

 

というわけで、開幕から書ききれないほど、多くのものが見れて非常に楽しいところでした。…これからのシーズンですと、アブとかが飛んで大変だとは思いますが、気になる方は行ってみてください。

 

ではまた次回です~(*'▽')