美深駅と美幸線(仁宇布駅)【宗谷急行を追いかけて①】 | 北海道限定の鉄道ブログ

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宗谷急行色が「急行」幕を出して走る臨時列車「花たびそうや」を追いかけるツアーでしたが、企画してくださった方のご厚意…というか、筆者のわがまま(なのかな? いずれにしても見たいものを見せてもらえました)でいろいろ見ることが出来ました。

 

目的の一つは、美幸線の仁宇布駅。筆者は今、見学可能な北海道内の保存車のコンプリートを企んでいて、その一環としてアイツをカメラに収めたかったのです。

 

…と、その前によったのは美幸線の始発駅。美深駅です。

 

美幸線とは

→検索してください

 

…っていうのは、ブログとしてどうなんだというのもあるので軽く。

 美幸線の「美」は、美深町-美深駅の美です。では「幸」は?というと、オホーツク海に面する枝幸町の幸…駅名だと「北見枝幸駅」からきています。北海道には実は「えさし」という町が2つあるんですよ~。この2点を結ぶ路線として計画されました。

 当時、オホーツク海に向かうルートというと、稚内へ向かう途中で「浜頓別町」へ出る「天北線」、名寄から「興部」へ向かう「名寄本線」がありましたが、どちらも枝幸町へのアクセスは悪いということで、枝幸から名寄・旭川へ出るルートとして作られたのが、美幸線です。

 

 この路線の工事着手はかなり新しく、周りの路線が明治~昭和初期なのに対し、この路線の着工は1957年。仁宇布駅まで線路が伸びたのが1964年でした。その後、全線開通へ向け工事が進められましたが、思ったより難所が多く、当初は1975年には完成すると思われていた線路が、1980年を超える見込みに。

 

 

- この完成のずれ込みが、路線の運命を決めたとも言えます。(いや、意図的に遅くなったわけじゃないので元から運命が決まっていたようなものですが)

 

 

1980年ともなれば、マイカーブームも進み、国鉄は大赤字。1979年の公団AB線(いわゆる地方ローカル線建設事業)が凍結となり、路線の開通は北海道(庁)と地方自治地帯で考えることになりました。この路線の建設の裏で、地元鉄道路線の廃止を引き換えにした自治体もあり、路線の8割が完成している状態からも、開業を望むものがありましたが、一方で開業しても多額の赤字が見込まれている状態で、誰が赤字を背負うのかとなります。

 

― そう、この路線は1981年時点で全線にわたって路盤が完成し、線路を引けば列車が走れるところまで行ったのに開通しなかったのです。

 

コンコルド効果なんて言葉もあるくらいですし、この決断もまたよかったのだと思いますが、まぁオタクからしてみればなんてもったいない路線なんでしょうかね←

 

結局、1985年まで全線開業を目指し模索しましたが、それも断念。同時に仁宇布ー美深間という中途半端(と見せかけて開業当初はそんなことは無かったです)な区間は廃止となりました。

 

美深から仁宇布までは美幸線の中でもほんのわずかな区間。もう線路も跡形も残ってないか、自然に還ってる

 

 

 

 

 

 

って思いそうですが、実はめっちゃ残ってるどころかめっちゃ使われてます。

 

 知名度がどれくらいなのでしょうか…。実は筆者わかってないんですよ。

仁宇布駅から美深方5kmは、エンジン付きの保線用トロッコで自分で走ることができる「トロッコ王国美深」として1998年から営業していて、素人の一般人でも、自分の運転で線路を走れる貴重なスポットとなっています。

 筆者も今回でトロッコ運転まで行きたかったのですが、時間の都合上断念…。今年中にでもリベンジしたいです。

 

今回の本命はこちら。 えー…、この駅から先が、いわゆる未成線で「単線非電化」の美幸線廃線跡にいる保存車がまさかの「581系」なんですワ…(・_・;)

 

サハネ581-19だそうです。調べたところ盛岡所属車ですから「はつかり/はくつる」を新幹線開業まで担当し、盛岡はつかりになった際に減車で余剰廃車になった勢…ですかね。

 

しかし、こいつ実は余剰で廃車になっておらず、転属しています。

 

その先が「札幌運転所」

 

 

 

は?

 

 

 

 

…という気持ちが出るんですが、ご存じの方も多いかもですね💦

国鉄が爆発四散する1987年、JRへの資産分配時に、本州の余剰車を一部JR北海道に渡しています。

 目的は、当時の国鉄→JR北海道…というよりは、苗穂工場の匠たちのテンションが上がっていた頃ですので、リゾート車等の種車にしたいとかそういった意図化とは思いますが、485系と583系の中間車の一部が、食パン(隠語)として発酵させることなく、北海道に上陸させています。

 

ただ、思ったよりボロボロだったのか、一部部品を除いて使わずに捨てられました。その1台がこいつなのです。

 

美幸線の完成区間の廃止が1985年。サハネ581-19の廃車が1990年ですので、この車両は札幌からトレーラーで陸送されてきた。ということでしょう。

 

 

さて、仁宇布駅跡にはもう1台保存車が。

 

こちら、移動機械です。詳細は分かりませんが、当時は除雪用と貨車移動用?にこういうモーターカーが多くいましたので、その1台かな…と。

 

割と、保存例がそこそこあります。

 

 

 

仁宇布、メインであるトロッコに乗れてないので、また行きたいです。

 

 

ではまた次回です~(-ω-)/