日中友好東北バスツアーからブログを再開する気になった。〜ロマンと科学と文化〜 | 演出家・プログラマー 深寅芥のブログ 

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演出・俳優 深寅芥のブログです。本名は千葉伸吾と申します。
株式会社ネリム 代表取締役

2月、練馬の自宅に帰宅できた日は恐らく4~5日程度。
しかも、家に帰宅してから寝る・着替える程度しかできず、
部屋の掃除や洗濯物が溜まっていくばかり・・・。

僕の精神的ストレスはほぼ、決まっている。
掃除ができない時と、洗濯物が溜まる時と、お金の出費が重なった時。
それと、iPhoneの充電が切れそうになる時かな。
それ以外は、あまりストレスを感じたりはしない。

人間なんてそんなものだろう。

なので、3月は、この3つを極力避けようと思う。

ほぼ、毎日、出先のカプセルホテルとかスパや漫画喫茶とかに止まっていた。
(お風呂とかサウナのお陰で、なんとか精神的に耐え抜いた気もする。)

さて、タイトルの「日中友好東北バスツアー」からブログを再開する気になったという事であるが、
確実に刺激的な2日間であった。
「中国の留学生と共に、福島の現状を正しく知り、放射線、原発について学び、自らの手で放射線を測る」
この経験は彼らにとっても私達にとっても大きな経験になった。

「正しく恐れる」

これが日中両国難しい。

さて、私は、ここでカミングアウトするが、
実は、高校生時代、日本大学芸術学部に受からなかったら、
中国語専行がある大学に進学し、中国に留学しようと思っていた。

理由はこうだ。「これから中国は経済が驚く程、発展するだろう。(的中していた。)そして、日本人のアイデンティティの一つ”武士道”を更に学ぶ為には、ルーツである。朱子学、孔子を学ぶ必要性がある老子の考えも必要だ。その為には中国に行く必要がある。日本人として世界に羽ばたきたい。」

高校2、3年生の時の話ですからね。(笑)
ただ、当時の僕は、真面目にそう思っていた。

なので、日本大学芸術学部に進学した時に、僕はたくさんの同級生の前でこう話した。

演劇学科の教授が「何故、日本大学芸術学部演劇学科に入学したのか?」と皆に問いかけた時。

僕は
「SEGAに就職し、中国でビジネスをする。それが夢です。演劇は趣味です。」と答えた。
恐らく、皆呆れていただろう。
今の僕でも、呆れる。「こいつ、何言っているんだ?」と。
ただ、当時は本気でそう思っていた。

そんな僕が、今でも演劇の世界に足を突っ込んでいるから、人生は面白い。

さて。話を戻そう。

つまり、高校時代の僕は、中国に対する「ロマン」を持っていた。
そして、恐らく、当時は所謂、「親中」であった。

今の私はどうか?
中国に対して、冷静に見ている。
あの時と違って、「ロマン」は感じていない。

さて、私が若かった頃(約20年前)のグローバリズムとは、一つのロマンだった気がする。
アメリカに対する憧れ、イギリスに対する憧れ、中国に対する憧れ、
これらは、音楽や、生活や、ファッションに対する憧れが要因であろう。

素直な僕は、大手広告代理店の仕掛けにまんまと嵌っていたわけだ。

今の日本の”空気”では、あまり諸外国に対する憧れを、若い人から感じない。
「留学しようかな・・・。」と昔は、同級生が口々に呟いていたが、今はさして聞かれない。

つまり、若者の「ロマン」とは、「自分探しの旅」の側面も持つ。

他の国から日本を見る事ができれば、客観的に自分と家族と、日本を見る事ができるのではなかろうか?と。

モラトリアムから脱却する為に、「旅」という選択肢を選んだのではなかろうか?
そんな印象を持ったりもする。

今、様々な方々がグローバリズムを推奨する。
私には違和感を感じる。

これは私の自己形成に至るのだが、
何故、私は、大学在学中に「海外に対する憧れがなくなったのか?」に返答がある。

理由は単純だ。

「日本の歴史と文化をしっかり正しく学べば、海外に憧れる要因が少なくなった。」である。

恐らく、演劇学科に入学したのも要因であろう。
演劇の日本の歴史は広くて深くて長い。演劇というジャンルを芸能、祭事まで広げれば、更に広がる。
それと諸外国の文化を大学在学中に比較してみたのだ。

そうすると、さして、日本の文化、芸能はダサくない事が判明した。
それと同時に、諸外国からのオリジナリティーのある日本の文化への憧れも知るようになった。
今のアニメ・漫画文化等も現在進行形の日本が突出しているカルチャーの一つである。

なので、私は諸外国に憧れる必要がなくなった。
これが要因だ。
それと同時に、「誇れるもの」を手に入れる事ができた。

実は、母国において「誇れるもの」は数多く点在する。
ただ、「近過ぎて見えない」のだ。”灯台下暗し”である。

遠くを見て、そこに真実があるのではなかろうか?と錯覚する。
それは、”ロマン”である。

私は”ロマン”を否定しない。
”ロマン”は人を成長させる。

だが、それは自分で見つけるものだ。人が押し付けるものではない。

「最近の若者は夢がない。」これは言い換えれば、「最近の若者はロマンがない。」という事である。

安心してください。海外視点がなくとも、今の日本の若者は、日本の昔ながらの「ロマン」をひきこもりながら構築している。
ただ、たんにその哲学構築に時間がかかっているだけだ。失ったモノを取り戻そうとしているのだから。

何気に、日本の思想や哲学の構築の中には他の諸国には独特の方法論がある。

「枯山水的創造力」である。

ほんの小さな庭に、何故か宇宙を創造していた。

山も海も川も大地もそこに作っていた。

「盆栽」等もそうだろう。ミクロの中にマクロを描いていた。

宇宙を眺める事と、原子を眺める事に、さして差はない。
両方共に壮大な世界が広がっている。
恐らく、それが科学だろう。

だから、私はさして世界に憧れる必要がなくなった。
これが今の状況である。

視野が狭い、悪いことではない。もっともっと、1点を見つめて、穴があくまでミクロ化すればいいではないか。
もしかすると、その先には、広くて壮大な宇宙が広がっている可能性がある。