移動 | いつもどこかへ

移動

いつもどこかへ-top storm in Africaを聴きながら、「アフリカに行きたいなぁ…」と掛け布団が半分落ちたベッドで思う。一晩経っても奥歯に挟まった生ハムの筋はまだ取れていない。


MP3の再生順と音質を変え1年前のことを思い出していた。思いついたのが2006年10月の通勤電車の中。仕事の段取りは遅々として進まないことがあるのに、ことこういうことに関しては驚くべきスピードで算段が進む。動機はここで何度も書いているように、「南極がどういうところか見たいから」ただそれだけ。


それだけのことをするのにしがらみの多さに参り、それらを断ち切るようにして1ヶ月の旅に出てきた。もともとは南極へ行くのが目的で、憧れてはいたもののパタゴニアは「交通費がかかるついでくっつけてしまえ」と通り道なのを活かしてあちこち移動してきた。


そして旅とは物質的移動ではなく、精神的移動であるということを誰かが言っていた、それは長さに関係なくその人がどんな時をその中で過ごすかにあると思う。この先2週間、どういう時を過ごすことになるのかは自分次第。渦中にいるとその時その時をすごすのに夢中で、今こうしてノートを見返すと天井から自分を見ているようで面白い、時には当時の気持ちを思い出して笑ったり凹む。私は旅行ではなく旅をしたい、その話はまたいつかにするとして


いつものように防寒着と石で重い荷物を背負う。道端に生えている雑草は、故郷北海道と良く似ていて、サイズが1.5倍ほど大きい。タンポポもイネ科の植物もワサワサと短い夏を謳歌するように勢いよく生えている。


カフェで喉が熱くなるほどコニャックがきいた甘いチョコクレープを食べてはコーヒーを飲む。鼻から抜けるアルコールの熱さとチョコの香り、コーヒーのほろ苦さがたまらない。さらに中心街にある教会を訪ね、思い木の扉をゆっくり開き、静かな堂内の椅子に座りこむ。例によってにわか教徒でこの先の航海の安全をマリア様にお願いし、、ツアーのクォーク社が前泊で用意した街はずれの宿へ荷物を置くため、タクシーに乗り込んだ。