手作りあめ 玉力製菓 | いつもどこかへ

手作りあめ 玉力製菓

飴

青りんご味の飴

どこを切っても同じ模様の金太郎飴。

川越の菓子屋横丁で見つけたものです

奥で作っているのか

できあがった製品をお店の人が店先で袋に詰めていました。


口に入れると砂糖の素朴な甘さ

原材料は砂糖・水あめ・香料だけ

こどもの頃、こういう香りがどこかにあったなぁ

なんて考えながら食べてました。


記憶の中で、臭いは印象に残りやすいものだそうで

言われてみると、排気ガスの臭いは

これまで訪れた国の首都の雰囲気を思い出し


札幌名物スープカレーの店の前を通ると

香辛料の香りでアジアの国を思い出します


土の香りは小さい住んでいた町を思い出し


香水の香りはヨーロッパの記憶を呼び起こします


さて話がそれましたが、川越の菓子屋横丁は歴史があるんですね

明治の始めから駄菓子を製造し、

関東大震災で被害を受けた東京に代わり

菓子の生産を請負い昭和初期には70軒以上が軒をつらね、菓子を製造・卸をしていたとか。


何も考えずにふらりと入った「玉力製菓」さんは

親子3代の老舗だそうです。

店構えが年季入って渋くかったもんね


「創業は大正3年、初代・久保田力蔵の「力」と鉄砲玉飴の「玉」を取って「玉力製菓」と名づけられました。
「蔵造り」の町並みが美しい一番街から少し入った「菓子屋横丁」に、店はあります。

江戸時代には養寿院の門前町として栄えたところで、明治初期に鈴木藤左衛門が駄菓子を製造したのが横丁の始まりといわれています。昭和初期の最盛期には70店を越え、飴や羊羹、かりん糖など様々なお菓子が製造されていました。第二次大戦により一時は激減しますが、戦後に再び復興し活気を取り戻します。

昭和40年代に入り、大手菓子メーカーの進出により、多くの店が廃業しました。しかし、近年になり、川越が観光地化されると共に再開される店も増え、今では20店近い店が軒を連ねて、観光客の皆さんで大いににぎわっております。

当店は、初代・力蔵より飴一筋。現在は、3代目の久保田一郎と4代目の久保田淳が昔ながらの製法で飴を作っております。見学もできますので、お立ちよりの際はぜひご覧下さい。」


横丁は、よく見ると現代のお菓子も多く並んでいるけど

全体の雰囲気は往時をしのばせているみたい

瓦屋根をみるだけで「日本だなぁ…」と感慨に浸るわたし


川越は古きよき日本を思い出させてくれました。