あったかいみそ汁と、ほかほかのご飯 | いつもどこかへ

あったかいみそ汁と、ほかほかのご飯

「あったかいみそ汁と、ホカホカの白いご飯。あったかいみそ汁と、もちもちの白いご飯…」

いつしか頭の中をその2つがぐるぐる回るようになっていた。

小さい体育館のように、ガランとして広い駅の待合室

北京へ戻る夜行寝台列車を待つ待合室は、寒かった。

3月の始め、外気は-15℃まで下がっているけど、

広い待合室には暖房器具がない。

ステンレス製のベンチからじわじわと体温が奪われていく。


電車は22時過ぎの出発。

日が落ちて暗くなった街をうろつくのは危険なので

夕暮れと同時に駅に入った。

始めは、旅の記録を整理し

店で買ったパイをつまんで過ごしていた。


それが、ある時間を過ぎると急に気温が下がり始めた

じっとしていたために体温が下がってきたためもあるかもしれない。

それでも、まだ大丈夫だった。

日記を書くのに飽き、待合室内をスケッチし始めた。

とくに構図も思いつかないので

記録程度に遠景からはじめ、向かい合ったベンチに座る人々を描き始めた。

向いに座る老夫婦を描き始めたとき

勝手にモデルにさせてもらったおじいさんと目が合った。


おじいさんは目を真ん丸く開き、こちらを凝視している。

「まずい」

こちらが目をそらそうとしてもまだ見ている。

「まずいまずい」

がっちりした体躯のおじいさんがゆっくりと立ちあがり

こちらに近寄ってきた。その間もわたしから目を離さない。

「怒らせたかな~…」と心配になった




「ハオ。」





「は?」


今度は私の目が点になった。


「ハオ。」


おじいさんがニコニコしながら親指を立て言う。

何をしているのか分からない私の手元を覗きこみ

納得したおじいさんは誉めてくれたらしい。

もといたベンチに戻ると、楽しそうにおばあさんに説明していた。


中国語で怒られたら何て弁解しようと考えていたところに

拍子抜けして一安心。


お次は酔っ払いのお兄さん。

近くに集まっていた集団をするりと抜け

お茶のボトルを持って私の横に腰掛けた。酒臭い。


相当酔っ払いながらも無害な彼は、描く様子を覗きこみながら

「ほー」「はぁー」と感嘆している。

適当にこちらも答えて描きつづける。


酔っ払いくんは何かを言うと、

私のスケッチブックをよこせと取ってしまい

反対に私の手には、彼のお茶ボトルがあった。

鉛筆ででかでかと「朋友」と書いてくれた彼は

フフホトよりも更に北のシリンホトに行くという。

電車の案内が流れると、サンドバッグぐらいある大きな荷物を

ひょいと担ぎ、仲間と共に列に並んで消えた。


このころには体はすっかり冷え切り

寒さが辛くなってきた。

体温が下がりすぎて低体温症を起こしかけ

時々意識がプツッと途切れそうになる。

書きはじめは内容のあった日記は途中から

あと何時間…あと何時間という記述の繰り返し。

「あったかいみそ汁と、ホカホカの白いご飯。あったかいみそ汁と、もちもちの白いご飯…」

これが呪文のように浮かぶ。


足の指先がジンジンと痛む。

鍵っ子だった冬の日に、家の鍵を忘れて玄関で震えながら親を待ったことを思い出した。


が、


電車を待つひとたちはフツー。

寒そうにしながらもこんもりと厚着をして電車を待つ。

待ち時間が数時間のわたしと1時間程度の彼らでは体の冷え方は違う。でも、やっぱり体の鍛え方が違うみたい。


持ってきたホッカイロを首にあてて体を少しでも温めようとしたり

じんじんと痛む足を動かして血行をよくし、動かないといかんと待合室内を歩く。すると少し楽になった。


ちょうどそのときに電車の案内が勇ましいマーチと共に流れ

大勢が集まる列に並んだ。

そして人の体温はこれほど温かいものかとほっとした。

「もう少しで温かい車内で、きれいなシーツで眠れる…」

期待に胸を膨らませ、せまーい改札を抜け乾燥して冷え切ったプラットホームに下りた。


「来ない、まだ来ない、まだかなぁ…」

外は待合室よりも当然寒い。

1分おきくらいに時計をちらちら見る。

涙が出てくる。歯の根があわない。情けないけど寒さに負けてた。


ゆっくりと電車がプラットホームに入ってきたとき

そして扉がゆっくりと開いたとき

心底、「よかった…」と思った。



指定の寝台に乗り、荷物を整理し

洗面所に行き、鏡を見てギョッとした。

くちびるの色が紫になっていた。

感情や気分に左右される体感温度だけではなくて

わたしの体は芯から冷え切っていたみたい。


寒さの数時間の中、夢にまで見たシーツと毛布にもぐる。

安心感が体中に広がる。

深呼吸して、足を伸ばす。


冷え切った体は、そう簡単には温まらず

背中はまだゾクゾクするけど、

いつのまにか、氷が溶けるように眠りについていた。