百人一首』は、歌人・藤原定家が選んだ、いわゆる私撰和歌集とされる。
たいてい頭に「小倉」という言葉がついているが、
その理由は、この歌集を編纂する事になったことに由来する。
鎌倉幕府の御家人で歌人でもあった宇都宮蓮生の別邸、
嵯峨野・小倉山荘のふすま絵を依頼されて選んだものとされる。
そのため、型にはまったものではなく、
気侭(まま)な気持ちで彼が独断で選んだ歌集と言ってもいい。
百人一首を調べてみると、
語呂を集めたり、四季を早・中・晩にそれぞれ分けた歌を並べたりしたため、
その歌人の秀作が出ているとは限らない。
もっといい歌があるのに、と思わせるところがいっぱいある。
そして、
ちゃっかりと、定家自身の彼女の作を挙げていたり、
敵対する歌人のものを意図的に撰からはずしているところが見える。
あるいは、
詠み人しらずとされていた歌に(意図的に?)
名をつけて表わしたとされているものもある。
百人一首の中でもよく知られている源 兼昌の
「淡路島 通う千鳥のなく聲に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」という歌があるが、
これは、言葉の使い方も正確ではないとされ、
どうして選ばれたのか?
という事も言われる。
中には、数あわせ、季節あわせで撰に叶った人もいる。
この歌の順序は、歴史的に古い順になっているようだが、
順徳院の「百(もも)敷きや 古き軒端の~」は、順番の如く、
100番目に来る歌として出てくるが、
この人も、百がついた歌を歌っていたばっかりに選ばれたような気もする。
学校などで、百人一首を覚えてくる宿題が出たりする。
そういったときに、たいていの生徒は、
最初の歌から10首覚えたりするが、
変わりダネの生徒は、この最後の一首を覚えて来る。
順徳院は、泉下で思いがけない喜びの声を漏らしていることだろう。