この間、52歳の若さでお亡くなりになった元タレントの山口美江さん。
彼女は私より一回り年上ですが、大学の学部の先輩でいらっしゃいました。
山口さんが最初に「バイリンガルキャスター」としてテレビに登場するようになった頃は、その凛とした美しさに当時中学生ぐらいだった私も少なからず憧れを感じていました。(その後、急激にやや下品な「バラドル」と化してしまったため、一気に興ざめしてしまったのですが)
その山口さんが今回自宅で心不全で急逝されたわけですが、そのニュースを取り扱ったテレビや雑誌の表現に対し、私は無性に腹が立ちました。
彼女が生涯独身であったということ、亡くなったときにたまたま傍らに誰もいなかったこと。それだけの理由で「孤独」「孤独」とやたらと連呼し、その言葉をネガティブな響きを含ませた枕詞にして彼女を「可哀想な人」あつかいし、挙句の果てに「社会問題」呼ばわりしたことです。
「無念の孤独死」
「2匹の犬との孤独な毎日・・・」
「山口美江の死から考える孤独死問題」
「死人に口なし」と言いますが、亡くなった方がたまたま生前独身で自宅で一人でいる時に亡くなったというだけで、「不幸な人生を送った可哀想な人」と決め付けるマスコミは、故人の尊厳を踏みにじり、侮辱しまくっているという自覚があるのでしょうか。
今頃山口美江さんは、この手のマスコミの判で押したようなステレオタイプな言葉を、空の上から「あんたたち、バッカじゃないの!」と嘲笑しながら見ているのではないかと思います。
同じく40代の若さで急逝された哲学者の池田晶子さんは人の死についてこのようなことを書いていました。
「人の死には、自殺・他殺・病死・事故死、この4つのどれかしかない。他の死に方などは存在しない。そして、死ぬ時はすべての人が平等に独りで死にゆくのである。その意味で、『孤独に死なない』人間などいない」
まったくその通りだと思いませんか?
人の人生が幸福かどうかの定義に、「結婚しているか」「子供がいるか」だけをいまだに基準にしつづけるマスコミそして多くの人々(すごく悲しいけれど自分の親や、団塊世代を中心にした周囲の人の大多数もその一味なんです)にこれまで心ない言葉でどれだけ辛い思いをさせられ、翻弄されたか分かりません。
今後も周期的に「あなたは可哀想な人、不完全な人、社会のマイナリティ」的な屈辱的発言や嘲笑や変な同情の言葉を投げつけられることはきっとあると思います。
結婚していても、幸福な人もいるし、不幸な人もいる。
子供がいても、幸福な人もいるし、不幸な人もいる。
独りでいても、幸福な人もいるし、不幸な人もいる。
すべては、自分次第なのでは?
少なくとも私は、早い内にこの当たり前に気がついて本当に幸運です。
山口美江さんだって、最期の日々はきっと穏やかで幸福な毎日だったに違いないと私は思っています。
どういう状況で人生の最期を終えるにせよ、その瞬間までは誰よりも自由な心で幸福に生き続けた!自分の中でそういう確信をもって命を終えるのであれば、誰にも哀れまれたりする筋合いなどございませんわ。
孤高の自由人よ、強くあれ!!
時代が我々に追いついてきていないだけなんです!!
ふ~、ちょっとアツくなってしまった。。。
山口先輩、どうぞ安らかにお眠りください。