桐子の波乱万丈日記、人生回想中です!
小児がんになった息子は、年少さんでスパルタ幼稚園で、片目がないものの元気に
通えていた。帰園時は、安堵の日々だった。
長女の桐美は、中1で、いじめ女と一緒のクラスになってしまったが故、女子グループと陽キャを
避けているあまりに、友達がいなくなった💦。
男子とばかり話をしているうちに、さらに女子達から距離を置かれることになった。
しかしながら、学校には通えていた。ほっ。
大企業正社員をやめて、ハローワークに通っていた私は、3カ月の失業保険給付を
毎月あたり12万くらい貰って、シンママの生活をやり繰りしていた。
失業保険が切れる頃、
ポストに入っていた広告、
週2回~
午前だけでもOK、
未経験OK、
初めての介護仕事
を手に取り、すぐに電話をして面接を受けた。
幼稚園バス待ちの、ママ友に言うと、
介護はやめとけ~
腰痛めるよ~
ワタシには、無理だわ~
桐子さん、何でまた?
というような声が多かった。
面接先の施設長は、大企業にお勤めだったのに
なぜ介護?
とかなり警戒していたが、子供の小児がんのことを
伝え、通院も多いことから
まずは、週2くらいで探していて、数時間から
仕事を再開したい
と伝えると、理解してもらえたようだった。
ワタシは、
無資格の介護士になった。