先日ある人に
「ことけけさんは、どんどん危ない方に行ってしまうね。そのうち冬山登山とか、道の無い所を登ったりするんじゃないの?」
って言われた。
それは半分冗談なんだけど、半分は本気で言ってた。
いや、まさか(笑)
笑っていたけど、僕も半分そうかもしれないって思った。
今回御嶽山に登って思ったんだけど、こういう人間(僕)が一番危ないんじゃないかな?って思った。
登山に関する知識もスキルも乏しいのに、そこそこ体力が有るから登れてしまう。
登れてしまうから、
「こんなものか」
「もっとハードな登山がしたい」
って思う。
そう思うのは悪くないけど、体力以外の色んなモノが付いて来ていない。
その体力だって、40過ぎのおじさんの体力なんてたかが知れてる。
登山に関して熟知した仲間が居る訳でもない。
僕はたまたま今まで運良く何事も無かっただけかもしれない。
ただ、
「やりたい」
「やろう」
って思わなければ、何も始まらないんだって事もよく分かった。
危険な目に遭うかもしれないって、あらかじめ考えておくのは必要かもしれない。
でも、起こるか起こらないか分からない事を1から10まで全て心配して万事解決出来る様に対策を用意していたら何も出来ない。
だって、山登りの行き帰りの運転も、山登りと同じくらい(もしくはそれ以上)危険なんだから。
某山系雑誌の記事で、「(急坂に)若い人はどんどん行っちゃえば良い」って書いてあった。
ダメなら諦めて帰れば良いって。
そんな事雑誌で言って良いのかな。世の中、自己責任っていう事ちゃんと理解している人ばかりじゃないし、自分で判断するっていうのも初心者で出来る事なんだろうか。
だけど、先日の恵那山で同行者に正に同じ事を言われた。
僕は、たまたま後押ししてくれる人が居たから登れたんだ。
山登りするのに何が一番必要なのか?って考えたら、それは靴でもザックでも雨具でもなく、「これは危険だからやめよう」って思う危険に対する判断力なんじゃないかな。
「諦め力」って言っても良い。
それは他人の基準ではなくて、他人が思う事ではなくて、「自分にとってこれは危険である」って思えるかどうか(それは危険を伴う行為に共通する事で、山登りに限った事では無いんだけど)。
それが、自分に自信が有ると(体力や知識、経験等で)アダになる時も有れば、知識や経験を積む事で精度を上げられもする。
結局、自分でやって、自分で判断しなきゃいけないんだ。
誰の為でもないし、誰のせいでもない。
慌てる事はないよ。
山はいつまでもそこにあるんだから。
良い事も悪い事も少しずつ経験を積んでいけたら良いし、悪い事も辛い事も「良い経験した」って思えるんだから山登りする人はおめでたい人だよ。