4時起きで国頭村へ行こうと思ってたけど、
前日に首里方面で歩きすぎたため、
さすがに疲れが溜まって無理でした驚き

ということで、午後の買い物予定ついでに
沖縄本島南部にある山(丘?)へ。

トレッキングというよりハイキング?
買い物ついでなのでいつもの装備も持たず、
ノースリーブに短パンの軽装で。


運玉森
標高:158.1m


きれいな円錐形の山容なので
「西原富士」ともいわれる運玉森。
西原町のシンボルでもあります。



駐車場までの道は分かりにくいですが、
Googleマップで「運玉森駐車場」で
無事にたどり着くことができました。

5台分の駐車スペースがあります。
駐車場前の犬がめっちゃ吠える犬



駐車場から舗装された道で頂上を目指します。
しばらくは坂道です。



イシガケチョウ

すぐに見かけたのがこちらの生き物。



入口には貸出用の杖が設置されていました。
頂上までの階段は264段。



ここから登っていきます。
最後まで舗装された階段です。



すぐに頂上へ到着。
10分もかからないくらい。
それほど高くない標高だけど、
頂上からは360°を見渡せます。



登ってきた方向を振り返ると南部方面。
右側から与那原町、南風原町あたり。
遠くの小高いところは南城市や八重瀬町。



東側には与那原町東浜のマリーナなど。
奥の右側から海に突き出てるのは知念半島。



北側には西原町が一望できます。
真ん中あたり、高台に旧琉大病院の建物。
右側の遠くには勝連半島。



西側には那覇空港自動車道。
拡大しないと分かりにくいけど、
左側のずっと奥の方に島影らしきものも。
慶良間諸島かと思いますが、
ここからでも見えるなんてびっくりびっくり

真ん中に見える那覇空港自動車道の
高架橋には世界一のものがあります。



アーチが21連続している高架橋なのですが、
コンクリートアーチ形式の道路橋としては
アーチの数が世界一なんだとか。

標高わずか158.1mとはいえ、
頂上から東西南北それぞれの景色、
色んなところが見えます。


運玉森はかつて「100万ドルの山」と
呼ばれていたことがあります。

「100万ドルの〇〇」といえば
夜景などを思い浮かべますが、
運玉森の100万ドルは違います。

撃ち込んだ砲弾の価格が100万ドルにも値する、
という意味での「100万ドルの山」です。



日本軍からは「一五八、一高地」、
米軍からは「Conical hill」と呼ばれ、
沖縄戦で首里防衛の激戦地となりました。

読谷や嘉手納から上陸した米軍は、

日本軍の司令本部が置かれていた
首里を目標に南へと進軍します。

その途中にある日本軍の防衛線、
宜野湾の嘉数高地(嘉数高台)や
浦添の前田高地(ハクソーリッジ)は、
激しい攻防の激戦地となりました。

そしてその防衛線を突破した米軍は
首里を取り囲むように攻めていきます。

西からの侵攻は現在のおもろまち、
シュガーローフが激戦地となりました。
今ではタワマンやDFSなどが建つ辺り、
貯水タンクがある小高い丘です。
そこから真嘉比、首里へと攻めました。

東は運玉森。ここを崩せば首里は目の前。
日本軍としてはなんとか防衛したい地点。
米軍との激しい攻防が行われ、
多くの砲弾が浴びせられたわけです。
それが「100万ドルの山」。

本島中部から那覇にかけての高台に
なぜ激戦地が多いのかということは、
米軍がどこへ上陸してどこを目標にしたか、
というのが分かれば見えてきます。
侵攻ルート上にある高台は日本軍にとって
首里を護る防衛線だったのです。

少し重い話になりましたが、
沖縄本島中南部の地形を話す上では
避けられない歴史の話だと思います。

多くの高台が公園など整備されて、
海や夜景を望む場所となっていますが、
ただきれいな景色を眺めるのではなく、
80年前に何があったかを知るのも
大切なことなのかなと思っています。




運玉森の頂上は西原町と与那原町の境界。
富士山どっちの県のもの議論があるけど、
運玉森は「西原富士」というくらいで、
西原町のシンボルとしているので
西原町的には運玉森は西原町のもの、
といったところでしょうか?!


動画でまとめました。


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