実は先日祖母が亡くなり、

忙しくしておりました。


ブログは予約投稿で書きためていたので、

ブログ上は変わりない日常でしたが、

あまり自炊する時間のない1週間でした。



祖母は4月で90歳になる予定で、

数えで享年91歳での他界。

50代から70代まで20年以上

スナックのママを勤めあげた

派手好きでおしゃべりでパワフルで

歳より若く見られる元気な祖母でした。


かかりつけ医の診察の日に胸が痛み、

調べたら大動脈瘤解離で別の病院へ。

入院して5日ほどはいつも通り、

元気におしゃべりしてた祖母ですが、

6日目からは酸素マスクと点滴、

7日目の夜に息を引きとりました。


病院はまだコロナ対策で面会はできず、

最後に元気な顔を見たのはお正月。


「天寿を全う」というにはもう少し、

という年齢ではありますが、

最後まで頭ははっきりしていたし、

友達と集まって過ごしたりしていたし、

長い入院や闘病生活ではなかったから

最後の苦しい時間は長くはなかったし、

これも天命だったのかなと思っています。


昨年動脈瘤が見つかった時に

手術をするかしないかの判断を迫られ、

手術はしないということになりました。

年齢的にリスクが高かったこともあり、

手術して合併症など寝たきりになるより、

そのまま日常を過ごすことが良いのでは、

ということで本人も運命に任せると、

手術は行わずに過ごしてきました。


いつ動脈瘤が破裂するか分からない、

とは医者に言われてはいたので、

あと5年10年というのは難しいかも、

という覚悟はしはじめていたけど、

それでもあと2~3年はという思いもあり、

今回は大動脈解離で入院しても

いつも通りの元気な様子だったから

退院できるんじゃないかとさえ思いました。


棺の中で眠る祖母の顔は穏やかで、

起きてくるんじゃないかと思うくらい。

いつもと変わらず家族でおしゃべりして

うるさいくらいに賑やかに数日過ごして

葬儀の日を迎えることになりました。


棺や骨壺もピンクにして、

ネイルもピンクのマニキュアを塗って、

最期まで派手にしてあげました。


家族葬で送ることにしましたが、

葬儀って故人のためだけでなく、

残された人の気持ちの区切りをつける、

ということでもあるんでしょうね。


火葬の直前に棺の中の顔を見ていると、

本当にこれで最後だなという気持ちで、

火入れの時までは涙が溢れましたが、

収骨には不思議と落ち着いていて。

あそこがひとつの区切りになったのか、

ようやく死を受け入れた瞬間というか。


万が一の時も延命治療はしないというのが

祖母の意志でもあったので、

入院してからはあっという間でした。



祖母はずっと離れて暮らしていたので、

幼い頃は日曜日に待ち合わせをして

一緒に買い物や食事をしていました。

だから子供の頃の日曜日といえば

家族でおばあちゃんとお出かけの日。


祖母が亡くなったのが月曜日で、

初七日から四十九日までは毎週日曜。

日曜日なら孫たちは仕事が休み、

曾孫たちも学校が休みだし。

みんなが集まれる日曜が法事になるよう

祖母が最後に計算したのでしょうか。


みんなが集まりやすい日曜の法事は

祖母も「あんたたちは相変わらずだね」と

あきれて笑ってくれるくらい賑やかに、

きっと騒がしいくらいになりそうです。