東日本大震災から7年。
23歳だった私。
3/15に大阪に避難し、これからの人生の事、本当に色々考えた。
東京以外に生きる事を考えて居なかったから、
音楽をしながらの生き方の方向性がやっと見えてきた時だった。
好きだった人とも上手くいきかけてた時だった。
めっちゃ悔しかったし、毎日泣いてた。
1ヶ月悩んで、出した答えは東京から離れる事だった。
先天性で病気を持って産まれてきて、小さい時に手術をしたり、
健康面で悩まされる事が多かったから、
いつか産まれる自分の子供がなにかを背負って産まれてくるリスクを最小限に減らしたかった。
『歌はどこでも歌える。身体はひとつ』
私に避難を勧めてきた人が言ってくれた。
いつか子供を産みたいとは小さな頃から漠然と思っていたけど、
いつ死ぬかわからんと思って、ひとつだけ夢を選ぶとしたら、
子供が産みたいって思った。
その為には、
安心して子育てできる環境に移住し、
一緒に生きていけるパートナーを探すこと。
そして欲を言えば、声の仕事がしたいと。
住みたい街探す為に5ヶ月滞在した石垣島は合わなくて、
片道切符で所持金一万円程で札幌に来たのが2012年7月。
すぐにこの街が好きになって、完全移住したくなったけど、
私にとっての札幌の父のようなバーのマスターに「冬見てから言え」と言われた。
取り敢えず目先の仕事をしながら、そこで出逢った方の紹介でゴスペルを学んだ。
1年間大阪の家賃と札幌の家賃払いながら耐えた。
それでもやっぱりこの街が好きやったから、大阪のマンションを引き払い完全に移住した2013年夏、夫と出逢った。
札幌に骨を埋める覚悟が出来、御縁があったボーカル教室で講師の仕事を始めた。
夫とは冬になる前に付き合い出して、私の度重なる脅迫の末、ちょうど一年で入籍。
夫24歳になる直前、私27歳の時だった。
そこからすぐに子供が出来て、翌年夏に長男出産。
産後2ヶ月程でライブバーで歌わせてもらう事になった。
0歳育児しながら歌の仕事するのはとっても大変だったけど、その御縁でzeppでマイク持たせてもらった時は嬉しかった。
ライブバーのビリーズで歌わせてもらう事になった時は毎日震えてたけど楽しかった。
札幌に来たばかりの頃、歌がどこで聴けるのか分からなくて
一人で行ったクラブでTiggyさんの歌聴いてめっちゃ憧れた。
こんなパワフルな人を惹きつける人が札幌にいるんやって。
私もまたいつかフロントに立ちたいなってずっと思ってた。
その憧れのTiggyさんが札幌を離れると聞いた。
Tiggyさんが長年マイクを握ってたLoooPの募集見て、
めちゃめちゃやってみたいって思った!!
テレビの生放送のMCの仕事で21か22の時に大失敗したトラウマかあって、
そこから喋る仕事は二度としないって思ってたんやけど、
もう本当Tiggyさんへの憧れだけで、やりたかった。
有難い事に、LoooPの社長が「失敗してもいいし、噛んでもいいからやってみて」って快く受け入れてくれた。
失敗も何回もして、喋るの怖くなった時も悔しくて泣いた時もあったけど、
LoooPの方々やお客様が暖かくて、どうにかこうにか1年3ヶ月続けさせてもらえている。
まだまだTiggyさんの足元には及ばないけど、自分のカラーがいつか出来たらいいなぁと思えるようになってきた。
25くらいまでずーっと焦燥感に苛まれてた。
なりたい自分との狭間にもがいて。
30歳になった今、
震災後に描いた理想の自分の人生以上の30歳になれている。
家庭環境が複雑で、幼少期とても生き辛かったからこそ、
今が人生1番幸せって思える。
辛い時期もあったけど、
本当に心から幸せな環境に居られる事に感謝しかない。
キャリーケース1つで来た札幌で、
パートナーに恵まれ、
好きな仕事に恵まれ、
そしてこの春新しい家族がもう一人増える。
長男の出産の時はほぼ誰にも言わずに里帰りせずに産んだから、
理想の育児と現実の間で悩み、産前産後鬱的になってしまった。
今回は自分のキャパが少し分かって来た分、抜くとこ抜いて楽しめそう。
そして何より、
周りの皆さんが「なんかあったら言って」って言ってくれるから本当に心強いです!!
行政は頼りにならないと今回改めて感じたけど、
周りの皆さんに甘えて、なんとかなりそうです!!
本当にありがとうございます。
いつか私も恩を誰かに返せる人になりたいです。
まだまだやりたい事、やれる事いっぱいあるから、
これからも夢のデスノート書き続けます!笑
私なりの3.11でさえ、とっても辛かった。
まだまだ苦しんでいる方々が沢山いらっしゃると思います。
一人でも多くの方々の心が癒されますように。