靭公園散歩1 靭公園の歴史 | 気ままに 短パン旅行

気ままに 短パン旅行

鉄道旅行が好きですので、旅行ネタ中心のブログになるかと思います。
春は桜、夏は川、秋は紅葉、冬は雪・・・鉄道と絡めて
四季折々の日本を楽しんでおります。

大阪市西区にある「靭公園」まで自転車で出かけてきました。

 

当時は、緊急事態宣言中で、引き続き遠方への旅行は自粛していたため

ごく近場のお散歩ブログとなります。

 

すこし馴染みのない漢字ですが「うつぼ公園」と読みます。

 

本町駅からほど近い、オフィス街の真ん中にある公園ですが

最近は大きなマンションだできたり、お洒落なショップも増えているように思います。

 

貨物線に丁度貨物列車がやってきました。

この貨物線があるおかげで、大阪駅には通常貨物列車は走りません。

 

この貨物線の真上には新幹線があり、貨物線と新幹線の間には

阪急神戸線が通る3重高架になっています。

 

大阪市内では、元大阪市バス、現在は民営化された

大阪シティバスがやってきました。

 

このバスは、昔の大阪市バスのカラーリングを復刻したものです。

ゼブラバスとも呼ばれるそうで、50年ほど前の塗装を復刻したものです。

 

自宅から30分強で靭公園に到着。

 

靭公園はかなり特殊な公園で、総面積9.7ヘクタール

南北に約150mですが東西に約800mと長く、長細い公園になっています。

 

靭公園のあった場所には、昔「靭海産物市場」がありました。

痕跡は残されていませんが、石碑が建てられ、市場があった事が分かります。

 

この辺りの地名は「靭本町」という地名で、地名は魚と関係しているようです。

 

大阪の街を作った豊臣秀吉がここを訪れた時、魚の商いをしている

「安い、安い」という掛け声を聞き「安い」と同じ音の「矢巣」を連想。

 

「矢巣とは、”うつぼ”ではないか」と言ったとか、言わなかったとか。

「うつぼ」とは、矢を入れる容器の事だとのこと。

 

以来この一帯は靭となったそうです。

 

また、終戦直後は、米進駐軍に占領され一時期は、長細い敷地を生かして

飛行場が作られ、大阪のど真ん中から飛行機が離着陸していたそうです。

 

そういった歴史のある靭公園ですが、現在は市民のオアシスとなっているようです。

 

東園と西園の二つに分かれた構造となっています。

 

東園と西園の間には、なにわ筋という広い通りが靭公園を分断しています。

計画中のなにわ筋線が将来、この通りの下を走ることになるかもしれません。

 

難波から梅田を通り、十三へ向かい新大阪方面へ向かう計画の新線で

JRや南海の関空発の列車が新大阪で新幹線と連絡する路線です。

 

西園にはテニスコートが整備されています。

 

このテニスコートで3歳まで大阪で暮らしていた「大坂なおみ選手」が

家族でテニスを楽しんだテニスコートだとのこと。

そんなゆかりのあるテニスコートとは知りませんでした。

 

1日も早い復活を祈っています。

 

 

日常生活のブログ「短パン洗濯中」もはじめました。

合わせてよろしくお願いします。

 

http://ameblo.jp/singa9152/

 

にほんブログ村 旅行ブログ 公共交通機関の旅へ にほんブログ村

 

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へ にほんブログ村

 

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村