南海加太駅前から、みゅりょう送迎バスで「国民休暇村 紀州加太」へと向かった。
バスなら、加太駅から10分弱で到着するが、歩くには少々距離がある。
無料送迎バスも、1時間おきに運転され、日帰り入浴をする場合でも便利だ。
そんな名古屋かな休暇村の向かいには、少々物騒な遺構が残されている。
それも休暇村敷地内というか、正面玄関のほぼ目の前だ。
休暇村一帯は、「深山重砲連隊」が大砲などを備えて戦っていた場所だった。
加太は丁度大阪湾の入口にあたる場所で、大阪湾~大阪を守る重要なん場所だった。
加太一帯や、渡船で渡った先の友ヶ島一帯には今でも沢山の戦争遺構が残されている。
レンガで作られた重厚な弾薬庫は、階段を降りた先、半地下状態の場所にある。
手すりも柵も何もない、階段だが、ただただ重厚さだけは伝わってくる。
元々は扉等設置されていたのかもしれないが、今は何もないただの穴状態だ。
弾薬が万一事故で爆発した場合でも被害が出にくいように
レンガの壁をぶ厚くしているのかもしれない。
昼間だからまだいいものの、夜だと恐らく全く何も見えないだろう。
休暇村の駐車場や正面玄関にほど近い場所とはいえ訪れる人は誰もいなく、
70年前に戦争があったことなどみんな忘れてしまっているのかもしれない。
休暇村は小高い山の上にあるので、海は見下ろす状態だ。
また、海まで少し距離があるようにも思う。
友ヶ島はもちろん、淡路島、四国なども見渡せるはずがだ、この日は天候が悪く
島影がはっきり見えるのは友ヶ島だけだった。




