「応援してくれた世界中の人々、
支えてくれたスタッフ・家族、
丈夫な身体に生んでくれた母、
毎日50キロ、2年間走り続けた自分の脚
そして、60足履きつぶした靴にも感謝したい。。。」
2年1ヶ月におよぶ地球一周のア-スマラソンを終え
大阪にゴ-ルした間寛平さんの言葉です。
途中、前立腺ガンが発覚、3ヶ月の中断を挟んでの
大偉業でした。
「走っている最中、何度もくじけそうになったが
励ましてくれている世界中の人々に支えられ続ける事ができた。
人間は、どんなに一人でも、
誰かに支えられて生きていることがわかった。。。」
感謝の言葉が次々に出てきます・・・
・・・・・・・
アメリカを横断中に何度も車で応援に来てくれた
アメリカ人がいました。
寛平ちゃんが「アメマのおっさん」と呼ぶこの男性は
事故で自らの左足を失い義足をつけた生活を余儀なくされていました。
還暦を迎えたこの日本人の無謀な挑戦に
忘れていた何かを思い出させられたのでしょう。
「自宅にジッとしていられなかった。」と言います。
ついに、大西洋を渡ってフランスまで応援に駆けつけ
そして、僅か20メ-トルでしたが、彼らは一緒に走りました。
「私には、義足で走る勇気がなかった。
しかし、寛平さんのチャレンジする姿を見て
自分も、もう一度頑張って走れるようになろうと思った。
そして、訓練の結果、少しの距離なら走れるようになり
寛平さんに見てもらいたくて、フランスまで来たのです。」
・・・・・
お人よしが過ぎて多くの友人の借金の連帯保証人になり
多額の借金を抱え「歩くハンコ屋」と呼ばれても
自身の生き方を変えるこはありません。
吉本で共同座長を務めた木村進が脳内出血で倒れ
仕事が続けられなくなった時に始めた経済援助は今も続けられています。
若手芸人が、落ち目になると、物心両面での支援も
よく知られている所です。
そんな彼の、人となりが、またこのア-スマラソンを成功させた
大きな要素なのでしょう。
・・・・・
「俺は、ホンマに幸せもんや・・・
みんなに支えられて生きていることがわかった。」
と言った寛平ちゃんですが、世界中で一体どれくらいの人たちが
彼に勇気を貰った事でしょう・・・・
我々も、「これは、難しい。これは、無理だ。」
等と言うことは、彼の前では恥かしくて言えないですね。
何と、凄い芸人さんなんでしょう。。。。。