以前、子ども用のビーズのヘアゴムを
作ったのですが、
この大人バージョンとして、
ブラックやグレーカラーで作ってほしいと
お友達に言われて作ってみました。
昔作ったものは、横から見ると
ビーズを編んだ部分が平らになってしまっているのですが、
横から見ても丸いコロンとしたシルエットに
なるように編み方を改良しました。
表のビーズ面まずはダイソーのレース糸にビーズを通し、
1段目は6目細編み、
2段目は増目で12目細編み、
3段目が細編みと増目を繰り返し18目、
4段目が増目と細編み2目を繰り返し24目、
5段目が細編み24目、
細編み一つにつきビーズを一粒ずつ編み込み、
最後は糸始末をして終わり。
裏面
1段目は6目細編み、
2段目は増目で12目細編み、
3段目が細編みと増目を交互に繰り返し18目で、
糸始末をして終わり。
ダイソーのくるみボタンに
ヘアゴムを通して、
編んだ表面と裏面で
くるみボタンを挟んでかがり縫いして
くっつけたら完成です
ちなみにかぎ針の2号針で編んでいます。
ビーズクロッシェは編んでいて楽しいです![]()
ん??
この写真、水辺で撮影したような
光の入り方ですが、
オーナーがガラスに貼ったUVカットの
シートのせいかな?
それから、テロックアヤー通りを
シアンホッケン寺院方面へと歩き、
寺院の隣にある公園に立ち寄りました。
会社員らしき男性や女性が何組か
ベンチに座って休憩されてました![]()
テロックアヤーのはじまり
テロックアヤーの最初の住人は、マレー系の漁民でした。
この村人たちは、水上に高床式に建てられたケロンと呼ばれる木造の小屋に住んでいました。1819年、イギリスがシンガポールを買収して貿易基地を設立した際、テロックアヤーは中国系移民の居住地として指定されました。1835年には、テロックアヤー通りは、商館、エンポリアム、寺院などが立ち並び、賑わいを見せていました。実際、シンガポールを代表する3つの中国寺院、Fuk Tak Chi、Thian Hock Keng、Wak Hai Cheng Bioは、この通りで見つけることができます。また、シンガポール初の客家人組合の建物であるYing Fo Fui Kunもこの通りにあり、国定記念物です。
なんと!歴史的建造物が
テロックアヤー通り沿いに
4ヶ所もあるそうです
せっかくだから訪問してみたいと思います。
①Fuk Tak Chi(福徳祠)
先ほど行ったばかり。
ジオラマに高床式のケロンがありました。
②Thian Hock Keng(シアンホッケン寺院)
この公園のすぐ隣。
③Wak Hai Cheng Bio
今通ってきた道を反対方向に戻らねば!![]()
けっこう距離があるけど歩いてみよう!
④ Ying Fo Fui Kun
来る途中で通った気がするので行ってみよう!
Telok Ayer Loading Site
テロックアヤーはもともと湾であり、海岸線はTelok Ayer Streetまで続いていました。19世紀、移民たちはこの砂浜に降り立ち、近くの寺や神社で航海の無事を感謝し、仕事や住居を探しました。この船着き場には、海岸線からシンガポール川まで、インド人船頭が乗る数百隻の船が行き交い、商売をしていました。1900年になると、テロックアヤーは過密状態になり、人口増加のために湾を埋め、その上に現在のシェントン・ウェイと呼ばれるエリアを建設しました。
マーライオンやベイサンズがある
シェントンウェイというエリアが埋立地
というのはどこかで見たことがあるのですが、
テロックアヤー通りがなんと港町だった
というのには驚きました![]()
現在の海岸からはだいぶ離れています。
なるほど、だから先ほどのお寺の博物館に
港町のジオラマや帆船の模型があったのですね
危険な航海の無事を願い、
テロックアヤー通りに寺院がいくつか
建設されたというのも頷けます。
しかもテロックアヤーについて調べてみたら
マレー語で「Fresh water bay」を
意味するそうです。
テロックアヤーのインド系移民
19世紀、テロックアヤーからシンガポール川南岸にかけての一帯には、インド系移民が定住していました。彼らの多くは牛乳商人で、バケツに入れた牛乳を肩にかけた棒に乗せて配達しながら、テロックアヤー通りを歩く姿がよく見られました。また、テロックアヤー湾に停泊する商船から貨物を降ろし、近くのゴダウに運ぶライトマンとして働くインド人移民もいました。インド系コミュニティがシンガポールに定着するにつれ、彼らは礼拝所を建設し、その中にはシンガポール最古のインド系イスラム教の建物であるアル・アブラール・モスクとナゴール・ダーガ・シュラインがありました。
なるほど![]()
この公園のすぐ隣に、ナゴール・ダーガという
インド系イスラム教の寺院があります。
こんなところになぜ?と思っていたのですが、
インド系移民の居住地があったことが理由でした。
テロックアヤー通りを南下し、
シアンホッケン寺院を通り過ぎた先には
アル・アブラール・モスクもあります。
中国風の行列
19世紀のシンガポールでは中国風の祭りが盛んで、街角を練り歩く精巧な行列が見られました。ランタン・フェスティバルやチンゲイなどの祭りが行われていました。このとき、テロックアヤー通りは、色とりどりの旗やバナーで飾られ、その行列を見るために、何千人もの観客が通りに並びました。色とりどりの衣装を身にまとったパフォーマーがアクロバットを披露し、精巧に装飾された輿が行進し、シンバルやゴング、太鼓を演奏するマーチングバンドが加わり、幻想的な光景が広がりました。行列は今日でも中国の祝祭の一部となっている。
今でもランタン・フェスティバルや
チンゲイパレードが行われていますが、
ずっと昔から連綿と続いていたのですね![]()
シンガポールの埋め立てについて、
気になってインターネットで検索してみました。
黄色が元々のシンガポールの島の形。
青は埋め立てられて出来た現在のエリア。
オレンジは今後埋め立てる計画のエリア。
昔と比較して、だいぶシンガポールの形が
変わっています![]()
本土の下の方にある
Marina Bayと書かれているシェントンウェイの
エリアは確かに丸ごと埋立地でした
さて、こちらがシアンホッケン寺院。
中国からの移民はこの場所で
航海の無事を祈ったそうです。
天福宮
(Thian Hock Keng Temple)
168 Terock Ayer St
長くなってしまったので、
一旦ここで終わります。
続きは次回![]()















