京都で一番長い歴史を持つ映画撮影所、東映京都撮影所。
映画産業の黄金期、東映京都撮影所は東映城と呼ばれ、豪華絢爛たる時代劇映画がたくさん製作されていました。
「御存じいれずみ判官」もその一本。
私事、団塊の世代(昭和23年生)には、かつて地元東京下町の映画館で観た東映時代劇が娯楽でした。
懐かしいスターがいっぱい。シニア世代の宝物、遠山の金さん。
千恵蔵の啖呵(たんか=鋭くて歯切れのよい言葉)に胸躍る、冒頭のモブシーンとラストの遠山裁き。
ご一緒にいかがでしょうか。
「御存じいれずみ判官 」
(昭和35年) 監督:佐々木康
陣出達朗が原作の東映・片岡千恵蔵主演のいれずみ判官シリーズは、昭和25年から昭和37年までに全18作が製作され、多羅尾伴内・七つの顔の男シリーズとともに千恵蔵の十八番(代表作)です。
「御存じいれずみ判官」は昭和35年3月封切りのいれずみ判官シリーズ16作目。
高岩肇のシナリオをベテラン佐々木康が監督しました。
総天然色・東映スコープ・94分。キャメラ(撮影)は松井鴻。
主人公・遠山金四郎に片岡千恵蔵。
共演は丘さとみ、木暮実千代、月形龍之介、薄田研二、山形勲、進藤英太郎、千秋実、片岡栄二郎、徳大寺伸、加賀邦男、宇佐美淳也、阿部九州男、尾上鯉之助、北竜二、戸上城太郎など、東映時代劇の懐かしい俳優が勢揃い。
佐々木康監督(明治41年~平成5年)はサイレント映画の時代から映画監督人生が始まっています。終戦直後“リンゴの唄”が主題歌の「そよかぜ(昭和20年)」が有名ですが、私は昭和30年代・東映オールスター時代劇。昭和39年から東映京都プロダクションに移って、テレビ映画時代劇、大川橋蔵の「銭形平次」、近衛十四郎の「素浪人月影兵庫」などのヒット作を連発しています。
縁日で浪人(小田部道麿)たちから因縁を付けられた、孔雀長屋のお景(丘さとみ)。
金さん(片岡千恵蔵)に首ったけです。
序盤からお景を助けて、金さんが浪人たちと大立ち回り。
お景:「まことに申し訳ありません どうかお許しください」
<小田部道麿>
浪人:「武士の魂を 足蹴にされては黙っておれん 手討ちにいたす」
金さん:「ちょっと待っておくんなさい この女 さっきから事を分けて謝っているようです」
浪人:「貴様は誰だ」
金さん:「時の氏神 です」
金さん:「どうか 時の氏神に免じて 許してやっちゃあ いただけませんか」
浪人:「ことと次第に よってはのう」
金さん:「と おっしゃいますと」
浪人:「酒手だ ただし 十両びた一文欠けても あいならん」
<片岡千恵蔵>
金さん:(面を外して)「こりゃ驚いたね 武士の魂が酒手の道具になるとは」
<丘さとみ>
お景:「あっ 金さん」
<片岡千恵蔵、小田部道麿>
金さん:「おう 突き当たったのは てめえ達の方だ」
浪人:「何をー」
金さん:「おいサンピン こちとら江戸っ子だ 売られた喧嘩は 買わざらなるめえ」
CGのない時代、縁日のモブシーン(多数のエキストラを使って撮影)は大迫力、浪人たち相手の啖呵(たんか)と立ち回りは片岡千恵蔵の真骨頂。
さすが時代劇全盛時代の作品です。
浪人役の小田部通麿は、東映京都の名脇役。昭和30年、面構えが強面だったことで俳優への道を勧められ東映京都撮影所に入社。京都市北区・誠心寺の住職でもあった。昭和40年代、栗塚旭主演のテレビ時代劇「俺は用心棒」「燃えよ剣」など味のある演技が記憶に残る。この脚本を執筆した結束信二死去の際、結束の遺言で小田部がお経を涙声で読み上げ、結束信二の墓も誠心寺にあるという。平成16年・77歳没。本名は釈通麿(とき みちまろ)。
<「俺は用心棒」より 沖田総司役の島田順司と小田部通麿>
遠山家では金さんの父景晋(明石潮)が、抜け荷買いの一味と気脈を通じていたという疑いで長崎奉行の地位を追われた。
真相究明にのり出した金さんが、金さんに首ったけの孔雀長屋のお景(丘さとみ)、丑松(千秋実)と一緒に加賀の国へ向います。
<丘さとみ、千秋実、片岡千恵蔵>
この「御存じいれずみ判官」には、他にも東映時代劇には欠かせない名悪役がズラリと登場するのもお楽しみ。
天童重四郎役の戸上城太郎。
<戸上城太郎>
戸上城太郎は稲垣浩監督の「海を渡る祭礼」(昭和16年)で初主演、殺陣の名手としても知られた。
昭和35年、時代劇量産体制にあった東映に移籍している。
渡海屋仁左衛門役の阿部九洲男。
<阿部九洲男>
阿部九洲男(あべくすお)は、戦前の大都映画を代表する剣戟スター。
昭和31年以降は東映京都撮影所作品に多く出演した。生涯に約300本の映画に出演、昭和40年に死去した。満55歳没。生前に撮影していた作品が翌年(昭和41年)に3作も公開されたという。
<阿部九洲男主演 昭和10年「木遣り唄め組の喧嘩」(大都映画)より>
加賀鳶の頭領・皿子十兵衛役の進藤英太郎。
<進藤英太郎>
進藤英太郎は、昭和31年から東映の専属となり、東映時代劇には欠かせないバイプレイヤー。幅広い演技で620本にもおよぶ作品に出演。後年はテレビドラマ「おやじ太鼓」などのホームドラマで人気を得た。
他に名優、月形龍之介、山形勲、石黒達也が悪役で共演しています。
ラスト、遠山裁きのシーン。
幕閣に勢力をもつ雪翁(月形龍之介)の新邸で、将軍家慶(徳大寺伸)御覧の能狂言会が催された。鬼神の面をつけて登場した鶴之丞の口からは、加賀藩をのっとるという大陰謀の言葉がとび出す。踊り手は金さんだった。激怒する雪翁。家慶は金さんに裁きの全権を与えた。
雪翁:「あれは鶴之丞ではない 面を取れ!」
鬼神:「面を取れば 鬼神の神通力を失う 嫌じゃ嫌じゃ」
雪翁:「この雪翁を愚弄いたすつもりか この狂言の作者は誰じゃ?」
(中略・遠山金四郎が将軍家慶(徳大寺伸)の御前に登場)
雪翁:「さがれ さがれ お目通りかなわぬ さがれ」
<将軍家慶(徳大寺伸)>
家慶:「遠山金四郎に 本件に関わる裁きの役を申し付ける」
家慶は金四郎に裁きの全権を与えた。
金四郎は、金さんが見た渡海屋(阿部九洲男)と筆頭家老大月利左衛門(山形勲)の、加賀藩乗っ取り計画を話す。
<大月利左衛門(山形勲)、奥田安房守(石黒達也)>
大月:「その金なる男はどこにおる 桜吹雪の入れ墨ともども 見せてもらおう」
金四郎:「なに 入れ墨ともども!」
大月:「入れ墨のない金など 江戸中に捨てるほどおるわ!」
金四郎:「・・・(将軍家慶の御前で躊躇する金四郎)」
家慶:「苦しゅうない 許すぞ」
金四郎:「望みとおり 金さんの 素肌に描いた金看板ともども 見せてやらぁ!」
大月・奥田:「・・・」
金四郎:「花も吉野の千本桜 比べて劣らぬ遠山桜だぁ! てめえ達が散らしたつもりのこの桜も こうして拝みゃあ文句はあるめえ」
<雪翁(月形龍之介)、遠山金四郎(片岡千恵蔵)>
雪翁:「遠山金四郎ご苦労であった 下がって休息せい」
金四郎:「まだ肝心の でけえ魚がのこってるんでぇ!」
雪翁:「なに? 大きい魚?」
金四郎:「雪翁 おめえのこってえ!」
この画像は一部です。「御存じいれずみ判官」はDVD化されており、本編では金四郎(千恵蔵)、雪翁(月形)両名優の迫真の演技が見られます。
片岡千恵蔵(明治36年~昭和58年)は、戦前・戦後にわたって活躍した時代劇スター。
同時代の阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫、月形龍之介と共に「七剣聖」と呼ばれた。
戦後、GHQの占領政策によりチャンバラ映画の製作が禁止されたため、現代劇「七つの顔」(松田定次監督)で七つの顔の男・多羅尾伴内を演じ大成功、シリーズ化された。
<片岡千恵蔵(昭和28年)>
《遠山の金さんTVシリーズ》
TVシリーズでは昭和42年の市川新之助(12代目・市川團十郎)主演「遠山の金さん」(日本テレビ系列)が懐かしい。全11回で共演は御影京子でした。名匠・渡辺邦男・脚本・監督で遠山金四郎の江戸町奉行になる前の青年時代を描いた作品。当時リアルタイムで観ましたが再放送が無いので原版不明でしょうか?
東映が昭和45年から全169回製作した中村梅之助主演「遠山の金さん捕物帳」も面白い。
共演の水原麻記も出色で「路傍の石」(昭和39年・家城巳代治監督)など子役時代から活躍していました。
<中村梅之助「遠山の金さん捕物帳」より>
<中村梅之助、水原麻記「遠山の金さん捕物帳」より>
<萩原宣子(現・水原麻記)「路傍の石」(昭和39年・家城巳代治監督)より>
<過去のアメブロ投稿「路傍の石」ご訪問ください。>
文中、敬称略としました。ご容赦ください。