京都で一番長い歴史を持つ映画撮影所、東映京都撮影所。

映画産業の黄金期、東映京都撮影所は東映城と呼ばれ、時代劇映画がたくさん製作されていました。

東映時代劇スターの相手役として、作品を支えた初代“東映城のお姫様”は、高千穂ひづる、田代百合子、千原しのぶではないでしょうか。

私事、団塊の世代(昭和23年生)には、かつて地元東京下町にあった映画館・荒川銀映(東映系映画館)で観た東映時代劇が娯楽でした。懐かしい東映城のお姫様の思い出を語ります。

 

 

高千穂ひづる出演作品ポスター》

「あばれ纏千両肌(昭和30年・萩原遼監督)ポスターは中村錦之助と高千穂ひづる

町火消し野狐三次(中村錦之助=萬屋錦之助)の恋と人情を描いた時代劇で、高千穂は町火消し棟梁(市川小太夫)の娘お駒。

高千穂ひづるは昭和27年に宝塚歌劇団を退団、松竹に所属。翌年より東映へ移籍し、年少者に熱狂的に受け入れられた「笛吹童子」(昭和29年・萩原遼監督)などの冒険時代劇を始め、昭和32年まで時代劇でのお姫様役などで人気を得ました。夫君は「隠密剣士」の時代劇スター、大瀬康一。

<高千穂ひづる>

高千穂ひづるの話では、昭和28年から30年にかけての東映時代劇は、高千穂と田代百合子、千原しのぶの三人がほとんどの時代劇にぐるぐると出ていて「その時期はすごく充実し、自分ながら燃えていた」そうで、夜行列車で京都と東京を往復したり、半徹夜で一週間近く過ごしたこともあったという。無理がたたって目を傷め、涙が止まらない病気になったこともあったそうです。

 

田代百合子出演作品ポスター》

「侍ニッポン新納鶴千代(昭和30年・佐々木康監督)ポスターは東千代之介と田代百合子。左下は高杉早苗。

大老井伊直弼(坂東簑助)の隠し子、新納鶴千代(東千代之介)の波乱の生涯を描いた意欲作。田代百合子は鶴千代の恋人・八重と八重に瓜二つの芸者吉次の二役。

田代百合子は昭和27年に東宝入社。昭和28年、女優不足に悩む東映に引き抜かれます。東映黄金時代の礎となった昭和29年「笛吹童子」、「里見八犬伝」などで中村錦之助、東千代之介と共演。高千穂ひづる、千原しのぶと共に東映三人娘と呼ばれました。なかでも東千代之介とのコンビ作品が多く、純情可憐な雰囲気で東映の量産体制に寄与しています。昭和35年に教育映画や化粧品会社の社内教育映画の監督・脚本家・浅田長生氏と結婚、引退しました。

<田代百合子>

 

《千原しのぶ出演作品ポスター》

「仇討崇禅寺馬場(昭和32年・マキノ雅弘監督)ポスターは千原しのぶと大友柳太朗。

画面3倍・興味100倍“東映スコープ”のキャッチコピーが懐かしい。

2023.10月に東映チャンネル(CS)で放送されます。大友柳太朗代表作の1本と言えましょう。一途な女の恋に燃えるお勝(千原しのぶ)「この人を渡すもんか、この人はわての人や」の叫びが崇禅寺馬場に響きます。

千原しのぶ昭和27年に東映入社。時代劇映画を東映で始めて監督した佐々木康の「忠治旅日記・逢初道中」(昭和27年・片岡千恵蔵主演)でデビュー。芸名の千原は千恵蔵から千の一字をもらい本名(石原和子)の原を取ったそうです。若い娘役不足や御大千恵蔵の推薦もあって、昭和29年~31年まで東映の「お姫様女優」の一人として60本の映画に出演しています。

<千原しのぶ>

千原しのぶは、緋牡丹お蝶役でレギュラー出演した月形龍之介の「水戸黄門漫遊記シリーズ」も懐かしい。

「水戸黄門漫遊記 怪力類人猿(昭和31年・伊賀山正徳監督)」ポスターは千原しのぶ、月形龍之介、喜多川千鶴。

御老公・水戸光国役の月形龍之介と旅する、助さんは月形のご子息・月形哲之介、格さんは加賀邦男、緋牡丹お蝶は千原しのぶ。何と!類人猿が登場するB級映画の面白さがいっぱい。

こちらは「水戸黄門漫遊記 怪猫乱舞(昭和31年・伊賀山正光監督)」の加賀邦男、月形龍之介、月形哲之介、千原しのぶ。

水戸黄門ご一行の前に怪猫出現!? B級映画の面白さがいっぱい。

たまに東映チャンネル(CS)で放送されます。

月形と鈴木澄子の怪猫映画「怪猫からくり天井」(深田金之助監督)も面白かった。

 

過去にアメブロで「水戸黄門」「怪猫からくり天井」投稿しました。

 

 

次回「2代目・東映城のお姫様」を投稿します。ご訪問ください。

文中、敬称略としました。ご容赦ください。