「怪猫からくり天井」(1958年)は60年前にリアルタイムで観た化け猫映画です。母から話に聞いていた化け猫スターの元祖、鈴木澄子が17年ぶりに映画界に復帰、これが遺作となりました。(母は化け猫映画が好きだったようです。)

街角に貼られたポスターは、当時の小学生にも映画館に通わせるに十分な効果がありました。

怪談物の身の毛もよだつ怖い映画と違い、ワイヤーワークや曲芸のようなアクロバティックな面白さもあって、小学生でも怪猫映画を楽しめました。

DVD未発売の「怪猫からくり天井」が、以前60年の時を経て「東映チャンネル」(CS)で放映されました。

平井池三の脚本を深田金之助が監督したモノクロ“東映スコープ”72分。

愛猫が怨念をうけて化け猫に変化する、有名な佐賀・鋼島騒動を扱った化け猫映画。

「見たな! 見たであろう・・」など、化け猫映画の定番場面を詰め込んだ怪猫映画のサンプルのような作品で、内容も面白い。

未見の方は東映チャンネルに視聴希望をメールしましょう。

 

出演は際物映画ながら名優・月形龍之介を筆頭に大川恵子、霧島八千代、鈴木澄子、三島雅夫、徳太寺伸、佐々木孝丸などのヴェテラン揃いが嬉しい。さすが時代劇の東映です。

ご一緒に・・・

荒波の東映ロゴのすぐ後、怪猫が鳴き声と共に飛び出す深田演出にビックリ。

続いて「怪猫からくり天井」のタイトル。

盲目の囲碁師匠・又七郎(小柴幹治)は対局中、鍋島家の藩主・肥前守(徳大寺伸)の手討ちになった。

 

藩主・肥前守:「あっ、その石待て。世の思い違いであった。」

又七郎:「恐れながら待ったはなりませぬ。勝敗のみに拘っては、碁に品位を失います。」

その後、悪家老の秋沢筑後(三島雅夫)が碁盤から碁石を一つ外す悪さをしたので盲目の又七郎は怒り、藩主と言い合いになる。

藩主:「だまれ! だまれ! だまれ!」と抜刀する。

家来が見守る中、囲碁の師匠に勝てない藩主がカッとなって斬りつけるパーターン。

又七郎が手討ちになった事を、まだ知らない又四郎の妹・お信(大川恵子)と母・秋篠(鈴木澄子)

 

たま(飼い猫):「ニャーオ」

母・秋篠:「たま、聞いておくれ。畜生のそなたに通じるなら、そなたに乗り移って仇が討ちたい。」

 

又四郎の死を知って、遺体を前に母・秋篠鍋島家を呪いながら自害した時、又七郎の愛猫が現れ、血をなめ尽くすと消えていった。

又七郎の母・秋篠(鈴木澄子)が自害し、その愛猫が生き血をすする、お馴染みの場面。

 

肥前守の寝室にパチン!と不気味な碁石を打つ音と共に又七郎の亡霊が現れる。

また、肥前守の寝室に夜な夜な怪猫が現れ始め藩主・肥前守は病同然となった。秋篠の怨霊が猫にのり移ったのだ。

化け猫が床や天井を飛び回るワイヤーワークが凄い!

 

鍋島家には分家をたててお家乗っとりをはかる悪家老・秋沢筑後(三島雅夫)一派と、お家大事の重臣・小森平左衛門(月形龍之介)、二番家老・島多門(佐々木孝丸)とがあった。

名優・小森平左衛門役の月形龍之介 登場。

小森:「如何でござろう。又七郎親子のために丁重なる法要を営んでは。」 

 

悪家老・秋沢筑後役の三島雅夫。

秋沢:「何、又七郎親子の法要を営むと・・・。何の、鍋島36万石、必ず我が掌中に治めてご覧に致しまするぞ。 フフフフ・・・・」

肥前守は又七郎母子の法要を営むと少しは回復したが、またも怪猫が現れた。

怪猫は善悪が判らず、小森平左衛門にも襲いかかる。

 

秋沢一味は早速分家の相続願いを江戸表へ送り、肥前守に毒を盛ろうとしたりする。

悪い相談をする家老・秋沢筑後(三島雅夫)と右端の鍋島豊後(明石潮)一派。

 

お小夜の方(霧島八千代)に乗り移った怪猫が灯りの油をなめる、お馴染みの場面。

お小夜の方(怪猫):「誰じゃ。」

腰元・楓(美山れい子):「あっ・・・・」

お小夜の方(怪猫):「楓、見たな! 見たであろう・・」

その後、見ちゃった楓を怪猫が手で操るお馴染みの爆笑場面も、しっかりある。

化け猫を見てビックリした腰元・楓役の美山れい子は、風小僧シリーズ・妖怪征伐(1959年・山城新伍・主演)で怪猫役を演じたと記憶している。 

 

行者白竜禅師(瀬川路三郎)は、腰元に化身して肥前守に近づこうとした怪猫の正体を見破る。

白竜禅師の呪文に、その正体を現し、無気味な叫び声を残して消えた。禅師も八面六臂(はちめんろっぴ)の大忙し。

ワイヤーワークにバック転、多彩な技を繰り出す化け猫に注目! 化け猫の立ち回りはどうやって撮ったのでしょか。60年前の技術、素晴らしい。

 

禅師の数珠で回復した肥前守は家老・秋沢筑後の陰謀を知り、善悪乱れてのチャンバラが展開する。

 

藩主:「お家横領を企みし一味の連判状と密書じゃ。これにても覚え無しと言いはるか!」

家老・秋沢:「・・・・・」

大乱闘の最中、再び怪猫が現れて肥前守に襲いかかるが、禅師の呪文で怪猫は火焔にやかれ、謀叛の一味も滅びた。

又七郎の妹・お信(大川恵子):「たま・・・。苦しかったでしょ、可哀想な たま」

 

藩主・肥前守:「ことには、又七郎並びに秋篠を死に至らしめたる事、慙愧に堪えぬ。世が悪かった。お信、許して       くれよ」。

猫はご主人の仇を討ちたかっただけなのに、可愛そうな結末でした。

化け猫女優・鈴木澄子さんの演技は見応えがありました。

 

“鈴木澄子”(写真下)は1937年(昭和12年)、木藤茂が監督、大友柳太郎と共演した「佐賀怪猫伝」のヒットで多くの映画に主演し「化け猫女優」と呼ばれました。怪猫映画は見せ場も多く映画的な素材も十分で、彼女も映画界に貢献した一人と言えましょう。満80歳没。生涯で200作を超える映画に出演しました。

そして「怪談佐賀屋敷」(1953年)でやはり戦前の大スターだった入江たか子が怪猫役を務め、鈴木澄子に次ぐ「化け猫女優」となった事は良く知られています。

 

“月形龍之介”は「水戸黄門シリーズ」で黄門さまのイメージを定着させた名優で、大のファンでした。私は中村錦之助と組んだ「一心太助シリーズ」の大久保彦左衛門役、「風雲児 織田信長」の平手政秀役、「宮本武蔵 般若坂の決斗」の日観役など、主人公を諭す重厚な役が好きです。

月形龍之介独特のセリフ回しを声帯模写の桜井長一郎が、よく声の特徴を真似ていたのを覚えています。晩年も東映のTV特撮時代劇「妖術武芸帳」(1969年 佐々木功・主演)で、同じ東映の原健策と一緒にお元気でレギュラー出演されていたのを、往年の東映時代劇ファンとして懐かしく思い出されます。

1970年(昭和45年)68歳没。

 

監督の“深田金之助”は東映京都撮影所と契約し、1955年(昭和30年)に「忍術左源太」で監督に昇進しています。深田は若いスタッフに「道ばたの雑草一本にも美があり何かを謳っている」「盛り場の雑路にも月を感じる」と常に語っていたそうです。伏見扇太郎の「風雲黒潮丸」、大川橋蔵の「若さま侍捕物帖シリーズ」、片岡千恵蔵の「はやぶさ奉行」「火の玉奉行」、美空ひばりの「ひばり捕物帖 自雷也小判」などの正道の娯楽時代劇で観客を楽しませてくれました。東映退社後、1964年に監督した東映の連続テレビ映画「六人の隠密(全19話)」(月形龍之介、黒川弥太郎、三島ゆり子⇒皆さんファンでした)の面白さが記憶に残ります。1965年に「血と肉と罪と」を監督し、成人映画の世界に進出したようです。1986年(昭和61年)69歳没。

 

東映はテレビ映画を量産した会社で、当時、再放送の機会が無いと思われた初期のモノクロTV作品は殆どが廃棄処分されたようです。品川隆二の「忍びの者」、近衛十四郎の「柳生武芸帖」なども第1話が現存するのみで、東映チャンネルに「六人の隠密」の放映希望をするも実現していません。フィルム消失でしょうか、残念です。

文中、敬称を略させて頂きました。ご了承ください。

おまけ

第1付録

<月形龍之介「水戸黄門シリーズ」ポスター展>

水戸黄門漫遊記(1954年)

監督:伊賀山正徳、助さんは大友柳太郎、格さんは加賀邦男

水戸黄門漫遊記 地獄極楽大騒ぎ(1954年)

監督:伊賀山正徳、助さんは明智十三郎、格さんは加賀邦男

水戸黄門漫遊記 火牛坂の悪鬼(1955年)

監督:伊賀山正徳、助さんは小柴幹治(三条雅也)、

格さんは加賀邦男  最近、東映チャンネルで放映された。

水戸黄門漫遊記 幽霊城の佝僂男(1955年)

監督:伊賀山正徳、助さんは月形哲之介(月形龍之介の実子)、

格さんは加賀邦男

水戸黄門漫遊記 怪猫乱舞(1956年)

監督:伊賀山正光、助さんは月形哲之介、格さんは加賀邦男

水戸黄門漫遊記 鳴門の妖鬼(1956年)

監督:伊賀山正光、助さんは月形哲之介、格さんは加賀邦男

水戸黄門(1957年)

監督:佐々木康、助さんは東千代之介、格さんは大川橋蔵

月形龍之介の映画生活38周年記念、東映オールキャストで製作された月形の「水戸黄門」第11作。

水戸黄門映画初の東映スコープ・總天然色。配収は3億5334万円で、1957年度の邦画配収ランキング第3位で水戸黄門映画最大のヒット作。

水戸黄門(1960年)

監督:松田定次、助さんは東千代之介、格さんは中村賀津雄

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第2付録

<監督・深田金之助ポスター展>

「南海の若武者物語 風雲黒潮丸」(伏見扇太郎)

1956年8月8公開(東映京都)

「はやぶさ奉行」(片岡千恵蔵)

1957年11月17日公開(東映京都)

「緋鯉大名」(里見浩太郎)

1959年11月8日公開(東映京都)

ふり袖小姓捕物帖 血文字肌(沢村訥升)

1961年7月2日公開(東映京都)

                    おわり