書籍「君美わしく」(川本三郎・著)は“binodendoのブログ”さんの情報で知りました。

私の少年時代、映画が唯一の娯楽だったあの頃、日本を代表する名女優17人の、昭和の映画黄金時代の香り高い人生をインタビュアー(川本三郎・著者)が見事に引き出しています。

大監督や共演男優の想い出、女優を目指したきっかけ、六社協定の荒波、そして、その後の人生。とっておきの逸話から浮かび上がるのは、自分の信念を貫くしっかりした態度で臨む女優という職業の姿です。

単行本(平成8年12月20日)として文藝春秋から第一刷発行されましたが、もう市場に出回っていないようです。平成12年4月1日に文庫化(文春文庫)されています。

幸運にも地元の図書館の蔵書検索で見つけました。

 

本書の名女優17人の語りの、ほんの一部を切り取って、「君美わしく」を紹介します。

スチール多数収録、映画館の銀幕が青春だったシニア世代の映画ファン感涙の一冊、本書の魅力が少しでも伝われば幸いです。

(文中の写真は、本書から転載させていただきました)

 

1 女優嫌いの大女優・高峰秀子

昭和二十年代の後半から「二十四の瞳」「浮雲」をはじめ傑作、秀作が多いことに気づく。これはフリーになって自分の作品を選択できたためだろう。

『なんていうか、人畜無害で。例えば娘を連れてお母さんが映画館へ来て、お母さんの顔が赤くなっちゃうような映画だけは絶対出まいと。で、ドンパチも出まいと。そういうことを自分で決めたんです。それが結果として、なんか、さっぱりした人生になっちゃった。だから恋愛ものもないし、キスもしたことがない。ハハハ』

 

 

2 ういういしく清楚な白い花びら・津島恵子

(昭和28年の「ひめゆりの塔」は)今井正監督から直接話があったんですか?

『そうです。小津(安二郎)先生なんかは反対されました。吉村(公三郎)先生にも相談しましたが、辛辣なことをおっしゃいまして(笑)』

最後はご自分で決断されて。

『決断なんて、そんなおおげさなことじゃないんですよ(笑)』

「ひめゆりの塔」の女学生たちを最後まで守りかばい、そして共に死んでゆく女の先生は、津島恵子の「代表作」になったことはいうまでもない。

 

 

3 天衣無縫な戦後の明るさ・淡島千景

やはり代表作は、豊田四郎監督「夫婦善哉」(昭和30年)の、人はいいがおよそ甲斐性のない若旦那の森繁久彌が「頼りにしてまっせ」という、蝶子だろうか。

『あの映画のときも、苦労があったんですよ。ほんとういうと、あたしね。途中で降りたかったんです』

ちなみに、本書のタイトル「君美わしく」は、淡島千景の主演作品「君美わしく」(中村登監督)からとっている。

 

 

4 笑顔を絶やさぬ“あんみつ姫”・久我美子

(昭和25年・今井正監督「また逢う日まで」の)有名な“ガラス越しのキスシーン”は?

『埃だらけのセットだし、ガラスがすごく汚かったのね。わざとガラスを煤けて汚してある。それで小道具さんに「すいません。ちょっと汚いんですけど、ガラスを拭いていただけませんか」って頼むわけです。ところがその手拭いが、お煮しめどころの騒ぎじゃない、汚いの。それでつっとやって「これでいいだろ」って。もう一度きれいに拭いてくださいなんていえないわけですよ』

 

 

5 ひそやかに咲く白い百合・八千草薫

清楚な八千草薫のイメージを決定づけたのは、なんといっても「宮本武蔵」三部作(昭和29年~31年)のお通。剣の道に生きる三船敏郎の武蔵をひたむきに慕い続ける。

『それが夢中でやっていたせいか、当時のことをよく覚えていなくて。稲垣(浩)先生は、声が小さくていらっしゃるんですね。ですから、何をおっしゃっているのかちょっとわかりにくくて。でも、何となく、ああ、いまは満足していらっしゃって、いまはどうもあんまり満足してらっしゃらないな、っていうぐらいしかわからなくてね』

 

 

6 自由闊達な現代女性の色っぽさ・岡田茉莉子

色っぽい岡田茉莉子で忘れられないのが昭和29年「芸者小夏」(杉江敏男監督)ほかの“芸者小夏”シリーズ。これが話題になった。

『あれは初めての大人の役でしたね。入浴シーンのポスターがね、宣伝部に貼ってあると盗まれるんですよ。当時ね、やっぱり入浴シーンって大変な事だったんです』

 

7 舞台に生き、映画に生きた名女優・杉村春子

『勝新太郎を叩かなきゃなんないことあって、あたし、叩けない(笑)。昭和40年「赤ひげ」(黒澤明監督)のときもそうだった。こんな女の子、名子役いましたね』

二木てるみ。

『そうそう、あの人、叩くの、あたしがね。黒澤(明)さん、叩けっておっしゃるけど、(二木てるみの)お母さんが見てるんですよ、そこで(笑)。叩けませんよ。さすが黒澤さんね、もう諦めちゃって』

勝新太郎のことは、結局、叩いたんですか?

『あの人、もっとひどく叩けって。でも、叩けないですよ、やっぱり(笑)』

 

 

8 五社協定と闘った美女・山本富士子

山本富士子の代表作といえば、大映の映画より、「彼岸花」(昭和33年・小津安二郎監督)、豊田四郎監督の「墨東奇譚」(昭和35年)、「如何なる星の下に」(昭和37年)など他社の映画の方が印象が強い。

『やっぱり大変な事だったんですよ、他社出演をするのは。だからそれも面白くなかったんでしょうね、大映としては』

“五社協定”によって映画出演の道を断たれた山本富士子に手をさしのべてくれたのは、テレビの石井ふく子プロデューサーと大阪の新歌舞伎座の松尾国三社長だった。このあと、山本富士子の活躍の場所はテレビ、舞台に移っていく。

 

 

9 はじめてヌードになったグラマー女優・前田道子

志村敏夫監督「女真珠王の復讐」(昭和31年)の前田道子。豪華客船から落とされて、絶海の孤島に漂着する。ほとんど全裸に近い。当時としては衝撃的だった。「ブラジャーはずしたお嬢さん」という見出しで新聞に出たのを覚えています。よくこんな思い切った・・・・。

『あの映画は「アナタハン」にアイデアを得ていて、孤島に女一人と男数人が流れ着く。そういう流れのなかでしたから裸になるのも納得できましたし、それに監督が志村敏夫でしたから(笑)』

ここで「笑」には意味がある。

 

 

 

10 寂し気な日本的叙情美人・新珠三千代

成瀬巳喜男はどうでした。「妻」(昭和28年)、「鰯雲」(昭和33年)と、「女の中にいる他人」(昭和41年)に出演されていますね。

『あの方はね、無口でね、おかしいときも含み笑いするだけ。「女の中にいる他人」は好きだったわ。ただ不満なのは、最後に、刑事が捕まえに来るみたいな終わり方でしょ。原作(エドワード・アタイア)は完全犯罪でね。日本じゃ、やっぱり完全犯罪じゃいけないんですって』

 

 

11 “東映城”のお姫さま・高千穂ひづる

私がファンだった“高千穂ひづる”の章です。宝塚デビュー、東映城のお姫さま、東映で内田吐夢監督との出会い、「にっぽん昆虫記」(今村昌平監督)オーディションに失敗した話、六社協定に直面、松竹時代の「ゼロの焦点」(野村芳太郎監督)でブルーリボン助演女優賞受賞などの代表作が次々生まれた話など話題が尽きません。夫君は「隠密剣士」の時代劇スター、大瀬康一。

本書から“東映城のお姫さま” 「新諸国物語・笛吹童子」の話を紹介します。

 

着物かと思ったら、ロングスカートの洋装だった。挨拶をしてすぐ名刺を出されたのには驚いた。

『おかしいでしょ。いま、名刺を出す世界にいるの』

『もう女優さん辞めて二十年以上になるかなあ。キャメラで撮ってもらうなんて久しぶりよ(笑)』

映画は昭和四十四年の大映作品「女賭博師・十番勝負」(田中重雄監督)が最後の出演になる。

高千穂ひづるといえば、私の世代の男なら誰でも一度は憧れた“東映城のお姫さま”である。

(戦後)時代劇はGHQに“封建的”とみなされ、製作が制約されていた。日本の独立とともにようやく自由に時代劇が作られるようになった。

そうして作られたのが、東映の子ども向きの時代劇、東千代之助と中村錦之助のコンビによる「新諸国物語・笛吹童子」(昭和29年 萩原遼監督)、映画は大ヒットした。

同じ“東映城のお姫さま”でも、田代百合子が楚々とした清純派だったのに対し、高千穂ひづるは、歌を歌ったり、妖術にかかって悪女になったり、刀をとって戦ったり、活発なところがあった。役名を見ると田代百合子が「桔梗」なのに対し、高千穂ひづるは「胡蝶尼」。まさに「蝶」のような華があった。

「笛吹童子」は、一本が短いとはいえ、一年に三本(3部作)。「紅孔雀」は、なんと年に五本(5部作)。相当なハード・スケジュールですね。

『あたし、三日三晩徹夜したことありますもんね』

 

インタビューも撮影も終わったあと、高千穂ひづるは、ホームバーに誘ってくれた。ブランデーを口に含みながら、小学生のころ、高円寺の映画館で「笛吹童子」を見たあと、帰りに、悪童仲間たちと「高千穂ひづるって、いいなあ。胡蝶尼のためなら、オレだって妖術使いと戦うなあ」と口々にいった日のことを思い出した。

 

 

12 貧しくもけなげに生き・二木てるみ

女優というより女の子がそこにいる。決して今のギャルではない。昭和三十年代、名子役として、大人の女優たちに劣らない強い印象を残した。とりわけ、(昭和30年・「警察日記」からの)久松静児監督の作品に、二木てるみは欠かせなかった。

「赤ひげ」(昭和40年)で、黒澤監督は、久松監督に比べると、ずっと厳しかったでしょうね。

『それはもう。久松監督からは、わたしの中に眠っている感性のラインを刺激していただいた。その結果、黒澤監督と出会って、それを今度、技術としてどう見せていくか、演ずるということにつなげていけたのは、黒澤監督がそれを教えてくださったんじゃないかと思っています』

 

 

13 いつまでもあでやかな大女優・山田五十鈴

やっぱり、いい映画の事は覚えていらっしゃるんですね。

『いい映画は覚えています。豊田(四郎)、黒澤(明)、成瀬(巳喜男)、それから溝口(健二)、この方たちは工夫を待つかたなんですよね。扮装でもなんでも。それで何でも質問していいし、わかんないことはどんどん聞いてもいいという主義の方でしたね。あとはもう、それこそ言われるままにね、やるよりほかなかったです』

 

14 映画への夢と“バラと痛恨の日々・有馬稲子

松竹ではいい作品に恵まれますね。小津安二郎監督の「東京暮色」(昭和32年)がある。

『小津先生は怖かったですねえ(笑)。セットからしてシーンとしているんですよ。なんか禅の道場に入ったような感じでしたからねえ。原(節子)さんがあたしの姉の役なんですが、ぱっと振り返る首の動きが違うっていうんで、三十回くらいやり直されている。原さんがそれなんですから、あたしはどうなるかと、そう思っただけで震えちゃってね。でも、小津先生は、終わるとね、すごくいいおじちゃまで、「すき焼き食べようか」なんて、お昼ご飯御馳走して下さる』

 

 

 

15 銀幕に花ひらいたクール・ビューティ・司葉子

成瀬巳喜男監督の遺作「乱れ雲」(昭和42年)がありますね。

『成瀬先生は“意地悪じいさん”なんですよ。ワンカット撮って、なんか気持ちが入らなくて、もう一度撮って下さいって言ったら「ああいいよ はい、用意、スタート」。そのあとにね、「フフフ、どこが前と違うの」なんておしゃるんですよ。それからラストシーン、私が桟橋に立つところ。手鏡でお化粧していたら、先生が「きょうは、葉子ちゃん、うしろ姿しか写さないからいいよ」って(笑)』

成瀬巳喜男は「乱れ雲」のあと、昭和44年7月、直腸がんで死去。享年六十三歳。

 『藤本(真澄)さんがおっしゃるには、「葉子ちゃん、ベッドでな、あのじいさん(成瀬)がな、葉子ちゃんは次に何がいいだろう、何がいいだろうって言ってるんだよ」って・・・』

 

 

16 愛らしい女学生から官能的なをんなへ・若尾文子

「赤線地帯」(昭和31年・溝口健二監督)のとき助監督だったのが増村保造。若尾文子はこのあと増村保造作品に次々に出演し、強い女や、情熱的な激しい女を演じるようになる。二人のコンビ作品は「青空娘」(昭和32年)から始まり妻は告白する」(昭和36年)、「卍」(昭和39年)、「清作の妻」(昭和40年)、「刺青」「赤い天使」(昭和41年)など実に十九本にのぼる。

増村保造監督作品のなかでとくにお好きなものというと。

『私自身が好きなのは「清作の妻」ですね。それから旦那さんと恋人と山にのぼって、旦那さんの方のザイルを切ってしまう話「妻は告白する」。ああいうの好きです。増村さんとの出会いは大きいですね。おっしゃることを理解するのが精一杯でね』

 

 

17 白いブラウスの似合う先生・香川京子

今回、インタビューに先立ってこれまでの「君美わしく」を送った。それをきちんと読んでくれた。

『前田道子さんの生き方、感動してしまいました』

目がやさしい。服装は簡素。話し方は物静か。女優というより、小学校の時の恩師か同級生のお母さんという感じがする。それでも女優としてのキャリアはすごい。なにしろ溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明の四巨匠の映画に出演している。さらに内田吐夢作品もある。

意外な役といえば、「赤ひげ」(昭和40年)の狂女役もすごかった・・・。

『あれはね、自分でも意外でした。最初、脚本を読んだときはびっくりしましたけど。あれを見て怖くて夢見たっていう人がいますから(笑)。野際陽子さんだったかな。「夢見ちゃったわ。怖かったわ」って』

 

以上、「君美わしく」の名女優17人の語りの、ほんの一部を紹介しました。

なかにはドキッとする語りもあり、昭和時代からの映画ファンとして、手元に置きたい書籍の一冊です。

 

著者の川本三郎氏は、ウィキペディア(インターネット百科事典)によると、日本の評論家、翻訳家。読売文学賞、サントリー学芸賞(社会・風俗部門)選考委員と紹介されています。

当アメブロで、川本三郎・筒井清忠著の単行本「日本映画 隠れた名作」を紹介しています。併せてご訪問ください。(2023年08月14日投稿)

過去の投稿<単行本「日本映画 隠れた名作」>

《余談》

「君美わしく」の著者・川本三郎の義兄(次姉の夫)に俳優の富田浩太郎がいます。

富田浩太郎は私の子供の頃のヒーロー的な存在で、知的な感じの好きな俳優さんでした。

波島進が主演したコブラ仮面が登場する映画「七色仮面」(1959年・東映 島津昇一監督)での山本警部役、TVドラマ「少年探偵団」 (1960年・フジテレビ系)の明智小五郎役が懐かしい。「少年探偵団」は生放送のため映像は残っていないようです。怪人二十面相役は大平透が演じていました。

<左から富田浩太郎、波島進・「七色仮面」より>

 

<左から藤山竜一、小林裕子、富田浩太郎・「七色仮面」より>

 

 

文中、敬称略としました。ご容赦ください。