。+°:*.氷花.*:°+。 -HiKa-

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あなたにどうか、
とどいてほしい、
わたしのこころ。

 

わたしがいま、ほしいもの。

それは、第六感。

 

なぜほしいのか。

 

それは、人生はいちどきりだから。

 

ひとはまちがえる。どっちが、どれがいいかわからなく、選択したものを、よく見誤る。

 

けれど、「まちがい」が予見できたなら。

多くのものを、わたしは誤ることなくみやぶり、ただしい道を選択できるだろう。

 

そのために必要なのは、第六感…。

 

「あれ?これでいいの?」

「このまま進んで、いいのかしら?」

 

明日のことはみえない。将来の約束もなく、決まったものなんて、この世にはない。

 

けれど、第六感なるものをとぎ澄ましたならば、最悪の選択はしないですむのではないだろうか。

 

わたしはいま、もとめてる。

ただひたすらに、「第六感」という、みえないものを。


はるか はるか 昔のこと
「わたし、あんなにきらってたお酒飲むのすきになってしまって」と せんせいに告白したら
「貴女もお酒を飲む年齢になったのね…」、手紙の奥からほほえみがこぼれるような せんせいのへんじ

せんせいは叱責しないのね ほほえむのね あくまで ほほえむのね。他人だからじゃなく。あくまでもみぢかなきもちで。

なにを言っても怒らない。ふんわり ふんわり 受け止めてくれる。だから安心して だれかが拒絶するだろうことも ためらいながらも言える 

「自分をよくみせたいのね」母には そう言われるから

でもそれのなにが悪いの? せんせいをしっているから わたしはそう思う
いつまでもふるふると 少女のように周りの目を気にして 生きること

アガってしまって人前でしゃべれない どもってしまったり。赤面したり。
わたし 最後にせんせいにお会いするまえに その前日に メール書いた
「あしたわたし なにをしゃべったらいいだろう。髪をととのえて。ホクロになりきらないとこに マジック書いて。それから、ええと、…ええと」
そしたらせんせい どんなへんじしたかって わすれない。…わすれられない。
「貴女はなんてかわいいの!」

こんなに時がたって 少女とはとても呼べないわたしに わたしに せんせいは
いつまでも受け容れてくれるんだ 自意識過剰なわたしに 自意識過剰すらも いとしそうに

ああせんせい。わたしは。
わたしは。
もっとせんせいのそばで憩って 寄り添っていつまでも少女のように
純粋に うつくしく 生きたかった

むかしは一等に なりたかった なんでもいい。一等になりたかった
勉強でも運動でも。一等になりたかった

…でも 一等になんてなれやしない。上には上がいる。そこには息のつまる 戦いがあるのだろう

わたしはダイアじゃない。ただの石ころ。どんなすてきな原石でもなく、みがいても ただの石ころ。


自分がとくべつなオンリィワンともおもわずに…


輝かなくても ただの石ころで みがいても、みがかなくても 石ころの価値のままで いられたら…
それこそがどんな原石にも劣らない すてきなことなんじゃないだろうか


だれも だれのことも わからない それは生きるうえで だいじなことで
「あのひとはこういうひと」とカテゴライズすることは かんたんだけど おそろしい

うん。それじゃ 盲目になってしまう。
「相手のすべてを知っている」で一生が 完結してしまう。

…そんな人生、もったいないわ

でも。

相手のことを理解したいと思うのに ぜんぜん理解できない
まるで片恋のように 理解できない…

いまね。はじめてね。これだけ生きてみてね 思ったの
…わたしがおかしいのかもしれないって

ちがうと信じたい

だけど、
だれが 否定できるの。

わたしが信じてきたものこそ まちがえてる って

ほんとはね

右と左が逆で
白いものが黒くて
かなしいことが幸福で
ふしあわせこそがしあわせの証で

…どうしてそれがちがうって
そのくらいの衝撃で
どうしてちがうって だれが、わたしに
言いきれるんだろう…、って。

せんせい
わたし、ある日きゅうにね
「あ、せんせいにメール書こう」っておもったの

で、「あ…、せんせいはもういないんだ…」って、つぎに 気づいたの

おかしいでしょう?

でも、それがせんせいとわたしの距離感でしたね

わたしがこまってメールをすると、
せんせいがふかいことばでわたしをはげましてくれる

本格的に、わかれて、つぎにお逢いできるまで、12年という長い月日がかかりました

でも、わたしのせんせいを想うきもちは、これっぽっちも
これっぽっちも
変わりありませんでした

「お逢いしなくても、このひろい空のしたで息をしている」それだけで、なみだがでるほど しあわせでした

今、せんせいに語りかけても、おへんじは聞こえないけれど
同じ息をすっているのかすら、わからないけれど

わたしにとってせんせいは
いついつまでも、変わらない「せんせい」です

なにも変わらない、わたしのだいすきなせんせいです

せんせいに捧ぐために書きはじめたこの日記も
ずっとせんせいとともに います

きょうは、快晴。4月のくせに気温がたかく、夏日になった

よそのひとはそうおもうだろう、1年のなかのただの1にち。そして1コマ1コマ。
だけどわたしにはとびきりとくべつな、1にち。だれにでも1年に1回はある、たいせつな、1にち。たんじょう日。


わたしはせんせいなしで、はじめてのたんじょう日をむかえたよ
きっとこれからもむかえる。むかえつづける。せんせいなしで。

ちょっと、せつなくて。
なんだか、さみしくて。
それでも、慣れなきゃいけなくて。
そして、生きていって。


わたしはわたしの人生を翔けるんだ。もしかしたらそれをたしかめるためにたんじょう日があるのかもしれない。それはどんな複雑な念いを孕んでわたしに触れるのか。

成長期じゃないから、1日1日、わたしは老けてゆく。つめがのびるように、1本ずつ白髪がふえてゆく。しみもしわもできる。

どんな顔になるのか、わたしはわたしに責任をもたなければならない。

こわいよ。こわい。しょうじきこわいよ。でも。

最期まで自分をみつめなければならない。
その作業がきっとそれが。

どんな能力もないきわめて平凡な自分が生きていることに、意味をもたらすのかもしれない。とおもうから。

あなたはわたしに、なにもしてくれないと言ったね

たしかにかたちには、なにもできなかった
お料理も、お掃除も、ほとんどできなかった

でもね

あなたが接客業で「全身凝って痛い」と言うたび、
「まいにちよくねむれない」と言うたび、

わたし胸痛めてた

…離れておもったんだよ、
あなたの心配をしなくてらくになったとき、

あなたの心配をしていることこそ、わたしがあなたにしてあげていたことだったんだって。


男性にはわからないんだろう

見守ることも仕事のうちの、女性の胸の痛みなんて

甥のいやなくせ。めんどうだったり、いらいらしたりすると コップのなかみをわざとこぼして落とす

ベビースターがそうだった。ちっちゃいスナックを拾って食べるのがめんどくさくなったのか、姉にのしかかったまま、なかみをざーっとこぼした

しかしおとなのほうが1枚も2枚も上。姉は「あーらくれるのー? ありがとー」とすぐさま拾って食べだした
「(もういっかいコップのなかに)入れるの! 入れるの!」とたんにあわてる甥。

わたしは爆笑してしまった


おとなをあまくみてはいけないよ、きみ。

でも。
しつけになるから姉は食べたのだろうけれど、わたしは減ってしまった甥のベビースターに、ちょっぴり胸が痛んだ

自分がとける。大気にとける。宇宙にとける。


……とろけるきもち。


おもたい躰も しんどいこころも
すべて 宇宙と一体になる。


手のひらをみる。

そこには 手しかないはずなのに


なにか とてもたいせつなものを
授かっている 気がする。

つくづく、自分がきらいになった、去年
そんな自分が せつなくて せつなくて つらかった去年

だからことしは 母に魔法を かけなかった

1月1日になったばかりの深夜。ひっそりと起きている近所の神社に、おみくじをひきに いった

母と わたしの ふたりぶん。


あけなかった。
母が起きる時間に ふたつのおみくじシャッフルして 母に択んでもらった

母が択んだから、とりあえず、自分のをあけてみる。なんと、大吉。
え。わたし、大吉ってひくの、人生で2回め。
母がひいたのをみると、吉。逆じゃ?

ううん、書いてあることは、母のほうがいい。


賢しらな魔法なんて かけるもんじゃないね
すこし気分がすがすがしい ことしの はじめての 日。