不楽是如何 -91ページ目

菅平へ

世の中の雰囲気が暗~くなって、あと、志村けんさんが新型コロナによる肺炎で亡くなったこともあってか、妙にこの新型コロナが「命の問題」としての世論が形成されつつある中、緊急事態宣言の発出が決定的となっていた令和2年4月5日、世の風潮に逆らうように私はドライブへと出かけました。

 

正直、本当につまらんと思っていました。

人が病気で死ぬのは当たり前。しかも、このウィルスは殺す順番を間違えていない。すなわち、年寄は基礎疾患のある人が亡くなりやすい。って、「普通の病気やん」

 

これが子供から先に死ぬような病気だったら、私が自粛警察やっていますよw

懸案の仕事もなかなか始まらず、かなりイライラしていた日々を過ごしていました。

 

ということで、行先は菅平。

なぜ菅平かというと、言わずと知れたラグビー合宿の聖地。で、できれば仕事を引退したらここで中古の家でも買って住みたいなあなんて漠然と考えていたから。

 

でついでに林道もって。菅平に通じる菅の沢林道の方へ回ってみたら、

 

 

 

残念ながら通行止め。

 

 

この後、国道で菅平の方へ上がり、プラプラとドライブ。

今年の合宿はコロナでどうなるんだろう?と思っていたら、後日、

 

 

こんなことになって。

この時に頂いたスガダイラーズステッカーは車に貼っていますw

 

で、山を降りて、やっぱし「真田」ってのが見えると行ってしまうw

 

         

 

真田発祥の地の真田本城跡。

で、この後、道の駅併設の温泉、布引温泉でゆっくりと。

非常に暖かく穏やかな日で、1時間ぐらい露天風呂に浸かっていたのを覚えています。

コロナの暗い影と懸案の仕事を忘れられたひとときでした。

週末は

さて、週末。

ラグビーチャンピオンシップは第4節。

ワラビーズVSスプリングボクス、ロス・プーマスVSオールブラックスの2戦目となります。

 

まずワラビーズVSスプリングボクス

 

 

 

ワラビーズは前節のヒーロー、クーパーさんが引き続き先発。

 

このシーン何回も見ました。

 

 

 

あと、SHのニックホワイトが先発出場です。

クーパーさんのPGのペナルティ、あれ、スクラムのコラプシングじゃなくて、ニックホワイトさんのジャッカルだったんですね。

 

 

対する南アフリカはほとんど前週のまま。

負けたとはいえ、トライ数では3-1でしたから。

あまり変える必要ないんですね。

 

次にロス・プーマスVSオールブラックス。

 

 

 

オールブラックスは、トヨタ自動車に加入予定のトィプロトゥが先発。あと、ペレナラさんとマッケンジーさんがHB団を組みます。

対するロス・プーマスは、SOニコラスサンチェスが欠場?名前が見当たりません。

あと、攻守の要パブロ・マテーラがフランカーからNO8へ。

ゴメン、アルゼンチンの選手ってこの二人とキャプテンのモントーヤだけしか知りません。2023年に向けて、もう少し覚えたいですね。

 

さて昨日、日本代表関連の情報で、

 

 

アイルランド、スコットランド戦に続き、ポルトガルとのテストマッチが決定したようです。欧州遠征の前にに国内で2試合という情報もありました。

この辺で、新戦力を試すんでしょうね。でも枠的には3~4ぐらいがせいぜいでしょうね。他国を見ても、格下相手でも、そんなにメチャクチャメンバーを入れ替えているという印象はなかったですから。

 

国内は大学ラグビーが始まり、そちらの方の報道がメインとなっておりますが、私は世界のラグビーに注目です。

金谷元名線偵察とグンマー第2弾

さて、コロナの件で世間が騒がしくなり始めた令和2年3月。

正直ツマランことで騒いでいるなあと自分自身ではそう思っていました。

なんか変な自粛ムードと同調圧力。

そして、4月ぐらいからかなあ、ちょっと面倒な仕事が始まりそうなので、悶々とした日々を過ごしておちました。

 

世の中が変な感じになっていた令和2年3月20日、3月28日と、少しだけドライブに行った記録がありました。

 

なんで?とその辺の記憶はほとんどありません。

まず、令和2年3月20日、金谷元名線偵察。

これは多分、前の年の台風で通行不可になっているという噂を聞いて行ったんだと思います。

 

 

 

けど、多分、

 

 

海を見ながらボーっとしたかったのかなあと。

 

で、次の週、令和2年3月28日はグンマー。

これは多分、仕事の偵察も兼ねてたのかもしれません。

そのついでに小栗上野関連の場所を巡って帰ってきた記録が残っています。

小栗上野介は、幕末に活躍した人で、日本の近代化の礎を築いた人です。

明治維新のとばっちりを受け、たいした罪も犯していないのに、斬首。

明治維新の闇の部分ですね。

 

 

 

 

う~ん、この時はおっさんラグビーのリーグ戦も途中で中止となったり、本当に悶々としていましたね。

やっとね

 

 

長かったですね。

実刑確定か・・・

この事故は結構長くウォッチしていましたね。

ざっと検索するだけで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

です。

飯塚被告も観念したのか、それとも検察が年齢を理由に収監しないことを見越したのか。

いずれにせよ、有罪が確定したことは良かったです。

 

あの事故から2年以上が経ちました。

亡くなられた母娘に合掌。

グンマー

年明けのドライブで気を良くしていた私。

最高のスタートだった令和2年に早くも陰りが見えてきました。

そうです、コロナです。

まだ、このころ(令和2年1月25日、26日)というと完全に対岸の火事って感じで、「中国さん、やらかしたなあ」という印象だけで、国会でも野党さんが「コロナより桜」みたいな質問をやっていた時期でした。

 

この日は、林道でなくても普通のドライブでいいやって感じで出かけて、

 

   

 

   

 

ここは道の駅六合に併設されている日帰り温泉で、

 

 

当時、皇太子であった今上陛下もご入浴された由緒ある温泉です。

この日はこの道の駅で車中泊をし、次の日、

 

   

 

ちょびっとだけ雪のあった草津へ回り、

 

   

 

東吾妻町にある岩櫃城址へ。

甲斐武田家滅亡の折、時の真田家当主昌幸は、この城に武田勝頼を迎えようとしていたみたいです。

しかし、武田勝頼はこの進言を退け、譜代の家臣、小山田信茂の岩殿山城を目指し、信成の裏切りに遭い、天目山の露と消えます。

この時、昌幸の進言通り、岩櫃に籠っていたら歴史はどうなっていたのでしょうか?

せめて小大名ぐらいで武田家も残れたかな?

 

なお、東吾妻町は、その昔、少しお世話になりました。

せっかく岩櫃に寄ったのだから、この際、名胡桃にも寄ってみようかなと、次に行った名胡桃城跡。

 

この城は、小田原征伐のきっかけとなった城で有名です。

 

   

 

   

 

豊臣に臣従した証として、沼田を北条へ引き渡した真田昌幸。

頑として名胡桃城だけは手放しませんでした。

その意味がよく分かりますね。

ここからだと、沼田城の動きがよく分かる。

で、結局、北条方の猪俣能登守がこの城を奪ってしまったことが、惣無事令違反を咎められ、小田原征伐の口実となりました。

 

ここまで来たら、沼田城をと。

 

   

 

   

 

沼田は真田昌幸の長男、信之(当時は信幸)が分家した城です。

ここで、信之の正室、小松殿(稲姫)と信之の像が仲良く。

小松殿は、徳川家康家臣、本田平八郎忠勝の娘で、家康の養女という形で信之に嫁ぎました。

真田太平記では、紺野美沙子さんが演じていましたねえ。

 

 

この後は、別の日帰り温泉での~んびりと。

 

 

この時は、コロナが大変な騒ぎになるとは思いもよりませんでした。