ヤクザとスゴイ生活 -5ページ目
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渋谷でピカ1 だけど出会ってない

@1996年の渋谷の話 
毎日学校へ通っていた。毎日渋谷へも足を運んだ。
手帳は“予定”と“今日の出来事”で ありんこの行列の様な小さな字でぎゅうぎゅうに書いてある。
携帯もベルもカナリアばりに鳴っていた。多分知り合いの多さは渋谷でピカ1。
知名度も存在感も後輩の多さも うんっ 間違いなくピカ1。
でも人をグーで殴った事も警察に捕まる事も汚い恥じるべき行為は1つもしていない。
そこが肝心。親に言えない事はしていない。じゃあどうやってトップへ立った?
自分の考えが正しく聞こえる様に上手く言葉を発していた。正しいわけでは無い。聞こえる様に全部思い通りに行く様に会話の主導を取るやり方でここまで来た。

信じられないかも知れないけど、あそこに立っているだけで知り合いが毎日、毎日最低1人は増してていく。あそことはハチ公の側の半蔵門線へ降りる階段。しぶちか集合がお決まり。
携帯のグループ分けは5段階。親友、友達、知り合い、学校、家族。皆もそうしている。彼氏って枠を設けてる子もいたけど。優先順位は家族が1番。そんな事を言うのは私だけ、渋谷にはそんな子はいない。 

渋谷には2つの世界があって外見も話す話題も言葉さえ異なっている。大人から見ても一目瞭然だと思う。私は否定しない、どっちも渡り歩く。八方美人ではない。
私はその2つの世界の初の架け橋 親善大使となった。

 雑誌やテレビに常に出て顔も売れている高校生達。私立へ通っていて、お金にも困っていなく携帯所持率も高かった。こっちの女の子達は足が皆綺麗だった。スラーッとしていて白くってルーズソックスも似合っていた。私より1つ年上が多かった。男の子達の指定鞄は飛ぶ様に人気でモテる事をすべてに考え動いている。動物園のお猿。歩けば写真も求められたり、顔そのものが売り。
学校~撮影~渋谷~家 これが1日、パーティには何百人も呼べるスーパー高校生。頭の中はラブでいっぱい。背伸びもいっぱい。

 
 襲撃、撤収、波紋、頭、潰す、鉄パイ、木刀、抗争、できん、サロン、私にはこっちの世界が最初難しかった。1つ1つ言葉の意味を考えた。何で戦う?毎日戦う?何処で寝るの?どうやって会う為の連絡すればいい?足も手も何でそんなに傷だらけ?6.7時から出没して来るんじゃ、私とは3時間だけしか遊べない。行動は大きく違う、育ちも違う、地元も学校も親もお金も無いに等しい子達。でも何でも熱かった。コップの中の半分のお水を『半分もある』と考える ソレに賛同できた。野生のお猿。

きっと映画のプロデューサならわかる。人の涙を誘えるのは野生のお猿の物語。
きっと画家ならわかる。絵になる表情をするのは動物園のお猿。

どちらも大金を稼ぎ出せるほどの素材。皆主役のライトを浴びれる。 
10時には渋谷を出なきゃ。駅まではスーパー高校生タケシと歩く、車内で宿題ホント忙しい。

伊勢丹前の14歳

@1995年12月2日の話
吉祥寺の伊勢丹前には原チャリ2台と20人以上の真っ黒な男の子達が集まっていた。
渋谷から1っ本で私は9:00pm到着。
私を誘ったのは恋愛主義者サトチカ(15歳)とこれから長い間私の大親友になるりえな(14歳)だった。そんな気乗りしてない私を駅まで迎えに来てくれて伊勢丹前までの間その場に来ているサトチカの『今の』お熱の男の子の話の詳細を受けた。りえなの好きな相手もそこにいる。要するに(だからその人は狙わないでっ)のお札を2枚貼られた。角を曲がれば男の子とご対面。
世間で言うチーマー。東京では名の知れた3つのグループがそこに集まっていた。チームが違うからって敵対している訳ではなく、仲良くして一緒に遊んだり、暴走族まがいな事をしたり、川崎や他県のチーマーを潰しに行くときも一致団結していた。私が顔を出すと皆すーっと散らばってしまった記憶がある。私に関しては凄い噂が広まっていて恐れられていた。『敵に廻したくない女no.1』=かかわりたくない女である。だからってせっかく来たのに皆そろってご飯行かなくても...。
2時間の伊勢丹前滞在の中最後に不良のお決まり集合写真を何枚か撮って帰った。
誰と会話したわけでもないから、帰り際女1人でも残ると決めたサトチカに『バイバイ』を大きな声で言った事で私が退散する事を男の子達も悟った。

その中の1人身長が大きくってオールバックの男の子が『又、遊ぼうよ』っとおそるおそる言ってくれた。真っ黒い綿棒の様な子と印象に残った。

結局どの子がサトチカの狙っている男の子かもわからなかった、その日。私にだけ門限があるから、急いでいた。 もうすぐ誕生日を迎える14歳 
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