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空(くう)になる

思想とは常に在り続けるものである、だがしかしそれは他に影響を及ぼすものではない、これ即ち己の全てが空(くう)になるという事ではないのだろうか

つまり私の思想はあなたには意味がない

私は針と糸を個人的によく使います。
私個人的かと思いますが、そこで思った事がございます。

人間の大切な言葉には突き刺さるものがあります、これは針として捉えられると考えました。
そして針の後には糸がついています、糸と読んで何か浮かびませんか?

そう、意図です。

大切な言葉のには必ず意図がついてくるのです、不思議と針と糸の関係に気づかされました。
しかも面白い事に、大切な言葉が突き刺さる、針が刺さるという事は痛みが伴います。
この痛みに耐え抜かなければ、その後の糸が入らない、つまり意図を理解できないのではないのかと思うのです。
よってその針の痛みに耐えてその意図を理解して、それを繰り返す事によって縫合をしていく。

何かお気づきになりましたか?

なぜ縫合しているか、それは傷ついているからです、傷ついているから大切な言葉が突き刺さり、その意図を知り、それを繰り返しその傷を塞いでいく。
それが本来の人間の生き方なのではないでしょうか、痛みを治すには痛みで治すのです。
耐え抜いて乗り越える事が「生きる」事の最大の目的のような気がします。

もしあなたが大切な言葉に何か気づかされた時は、きっとどこかが傷ついているのかもしれません。
大切な言葉の意図をしっかり理解できたならば、それはあなたがその傷を自分で治そうとしてるのです。
それはあなたの力です、どんな傷や痛みにも耐えられる「生き抜く」力です。
それがあなたの、あなただけの針と糸だと思います、大切にして使って下さい。

そしてあなたの針と糸で自分を治せるという事は、あなたの周りにもあなたの針と糸が使えるという事です。
つまり大切な言葉をあなたが言い、その意図を伝える、そうする事によって周りにも針と糸の使い方を伝えて言ってあげて下さい。
そうすればあなたにとっての、あなたの大切さも少しずつ大きくなっていく事でしょう。

あなたがそう気づいていく事によって、糸のない針がそこら辺にたくさんある事にも気づいていきます。
糸のない針、つまり意図のない痛みだけ伴う言葉、何かわかるかと思います。
そのような言葉を使う者は、その者自体に意図はありません。
針に糸がついてなければ意味がありませんよね、つまりその言葉を聞く意味がないのです。
それに気づくようになれば、どの針が必要でどの針が必要でないかわかり、自分で針が選べるようになります。
選ばれなかった針は使われず、そのまま勝手に錆びていくだけです。
使われない針は使えなくなっていくという事です。

常に錆びた針を持つ者は、どれが良い針なのかを判断しにくくなる為、大切な言葉もわからなくなり、それについてくる意図も見えなくなってしまいます。
自分で自分の傷を治す事ができないのです。
できない事により逃げる事しかできなくなって、さらに使われてないそこら辺の糸のない針を繰り返し拾い、それも錆びついていき錆びた針と結合して、錆びた針はどんどんと大きくなっていきます。

何かと似ていませんか?

私が知る限りの言葉では「エゴ」ではないかと考えます。
錆びた針を持ち続けてどんどん大きくなっていくならば、重たくなり、あなたに負荷がかかっているのと同じ、その負荷のせいで傷は広がるばかりです。
ならばできる事はひとつしかないでしょう。

その錆びた針を捨てるだけです。

ただほとんどのその持ち主は捨てる事ができません、大切な己のエゴですから。
でももし、もしもあなたがその錆びた針を捨てる事ができたなら、また小さくて新しい、そして綺麗な針を見つけられるかもしれません。
それがまた錆びたら、また捨てて、新しい針を探す、一度捨てられたら捨てる勇気ができてるので、いくらでも繰り返す事ができます。
ただし、あまりにも繰り返すようであればそれは、あなたの手が錆びついているのかもしれません。
それはあなた自身で気づいて下さい。
あなたのものはあなたしか見えてませんから。


針と糸、この2つのものだけでここまで書けた事に、何より私が驚きました。
なので私は私が使っている針と糸に深く感謝をして、これからも様々なものをなおす為に使い続けようと、心にそう感じました。
あなたはニュースでいじめ問題を見た事がごさいますか?

ほとんどの人が見ているかと思います。
そこであなたに確認します、そのいじめ問題は解決していましたでしょうか。
個人の見解ですが私は解決したのを今までに見た事がありません。
ただいじめがあった、どこどこが対処、処理をした、それくらいしか聞いた事がないのです。
事後報告をしているだけという事ですよね。
コメンテーターもなぜそんな事が起きたのか、防げなかったのか、などと常に同じ事を繰り返して伝える仕事をしてように見受けられます。
きっとそれが仕事と言うものなのでしょう、それ以上の事をするのはその方の仕事ではありませんからね。
私達の仕事と同じようなもので、テレビの向こう側の方々もただ仕事をこなしてるだけですから。

でももし、あなた達大人の方々にほんの少しの力があって、助けたいという気持ちがあるのならば、どうかいじめの対処法を教えてあげて下さい。
社会の中で起こっているいじめと何ら変わらないのは、皆さんご存知だと思いますので、ぜひそれを伝えて欲しいのです。
今の社会は学校の延長線上と言っても間違いではないでしょう。
どうすればその状況から打破できるか、あなた達は今生きているという事はわかってるはずなのです。
もちろん救えない方々がいるのもわかっています、だからこそ救える方々をあなたの力で護るってほしいのです。
これからのこの国を護ってくれるのはあなた達の子供なのですから。
どうか、身の周りの人達だけでもあなたの力で救ってあげてください。
お金や権力がなくとも私は少なからず、今そうして生きていくように心掛けていますので。

どうか、どうかお願い致します。
いじめられっ子だった私は今まだここに健在して、誰にも負けない心を持って生きていますから。
仕事を頼まれる事は仕事上、当たり前ですし仕事を与えてくれなければ仕事になりません。
ただ私の周りから聞く話では、どうやら無駄に仕事を振ってくる方が多いようなのです。
なぜそのような事になってしまうのか、これから説明したいと思います。

いくつかのパターンはありますが、まずは仕事を振る側が仕事として比較的何も考えてない場合。
なぜか一人に対して一気に仕事を振ってしまう、これは振る側が頭の中にその仕事を長時間覚えておく事ができず、都合良く目の前にいる人間にとりあえず全てを伝えて、自分は忘れても大丈夫なようにしている。(もしくは覚えておく気のない可能性もあり)
そして一人に集中するのは、振る側が話せる相手を選んでいる、つまり限定しているから。これは個人的好き嫌いで判断している事がほとんどです。
ここまでの場合だと、振る側が基本的に無意識に自分を守る事だけを考えて行動しているやり方です。
仕事としてはほとんど役に立たない、完全に個人的主観で動いている形になります。
意図的でやっている方ももちろんいます。
今どこの職場でもある、些細な問題はこうゆうのがほとんどかと思われます。
このような振る側の方は、なぜこのような行動を取るかと言うと、全てにおいて自分はミスをしないようにしてるのです。つまりミスを恐れている、ただの臆病者です。
覚えておく自信もございませんし、嫌いな相手とうまく話せる自信もきっとないからでしょう。自信のないものでミスをするのは普通は恐ろしいと思いますからね。
ただこのような方に共通してる、ある自信があるのです。それは仕事には関係のない、本当にどうでもいい所に自信を持っている事です。ざっくりまとめて自分の容姿だったり自分の財力だったりと、そこだけには強い自信がよく見られるのです。きっとそこしか自信が持てないからだと思うのですが。普通と言えば普通なんだと思います。
このような仕事の振り方をする人にお困りの方は、このように心の中で捉えて頂ければ少しは気持ちが楽になるかと思います。

あとは仕事を振られる側があまり好かれてない、もしくは嫌われてる場合もあります。無理矢理にでもあまり分かってない事でも押し付けられたり、振る側や他の人がやりたくない事を頼まれたりするのは、そうゆう場合が多いです。
もしそうなった場合の対処法は、嫌な顔もせず潔くその仕事をこなす事です。その際にその頼まれた仕事の細かい質問を振った側にたくさんしてみましょう。きっと少しは言葉を詰まらせると思います。
それを繰り返していけば、こちらは色々覚えますし、徐々に変な仕事は振られなくなっていくでしょう。
嫌われていいんです仕事ですから。
仕事のできない人よりは仕事のできる方がいいですからね。

ちなみに仕事をちゃんと考えてる人は、仕事を効率よく何人かに分配しますし、自身が最低限やるべき事は自身でやってしまいます。
たとえ扱いの難しい人にも少なからず何か仕事を与えるはずです、もし仕事を与えない場合があればそれはよっぽどの問題がある時だけです。

私はそう、教えて頂いたりして、最終的に自分で学びました。