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こんなものを飲みながら、例の本をよんでます。
「日本人と中国人の永遠のミゾ」ですよ。
またまた、隣国との問題が出てきていますけど・・・。
面白いのは、すべてが、考え方の本音は中国にある、といっても
ウソではないみたいですね。
北朝鮮や韓国はあくまで、中国の属国という考えからきていると
行っても可笑しくないんではないですかね。
これは、「日本語」にも出ているとおもうんですよ。
日本語が外国人から見ると難しいと思われてますけど、底には
日本語の中身を理解してないからなんですよ。
日本語には、文字一つとっても、漢字、ひらがな、カタカナからローマ字まで
あるということなんですよ。そして、漢字の読みにしても.音読み、訓読みが
あり、さらに丁寧語、謙譲語、尊敬語まであるんですから・・・考えてみてください現在の日本人ですら使いこなす人は少ないと思います。
文字の誕生や進化にはその国の歴史が関わっているということから、
言葉の表現とそのことばを使っている人々の精神性が、密接に影響して
いると思われるんですよ、
外国人が四苦八苦する敬語には、上下関係を常に意識する日本人の精神
の文化であり、日本社会のタテ構造の意識という特徴があるんですy。
日本の地理的な条件が関わっていて、島国の日本だということにつながるんです。ほとんどが単一民族の日本では、言葉の障壁、互いの言葉が違う
ことがないというんですよ。同じ言葉の土俵の上で円滑な人間関係をつくる
言葉には、表現や方法により重要性があるというんですよ。
日本人は、それが上下関係であるのか、ヨコの関係であるのか、大変気にしますから、そのような精神文化自体が、このような日本語を進化させて
きたとおもわれ、日本語の標準語とも違うということなんですよ。
中国の場合は、日本人が普通に理解している中国語が標準語ではないと
いうことなんですよ。56の民族なる中国では、モンゴル族にとってはモンゴル語、チワン族の人はチワン語、ウイグル族の人はウイグル語、それぞれ
民族による「母国語」だということですよ。これが日本人は方言とばかり
解釈していたおもいます。中国の場合は中国政府が北方のことばを基にして「普通語」と呼ぶ共通語を広めたので、繊細な表現方法まで追求できないことが現実です。中国にも省により方言はありますけどそれは地方の
言葉であるけど、中身は同じだというんですよ。
「中国語は、発音と音調を乗り越えれば意外と単純」だといいますよ。
繊細な表現や周到な言い回しはできないんですよ。これが大きな問題を
起こしているんではないでしょうか?さらに簡単にした言葉が。韓国語だと
いうんですよ。たしかに中国語には豊かな文字の世界はあるんですけど
コミュニケーションを支える言葉自体が、中国語とは全く違う道筋を歩んできているというんです。その中でも面白いのが「儒教」を広めた「丁幼の序」
なんですよ。目上を敬うという教えですけど、本来の中国では「普通語」の
中にも、それぞれの地方の言葉の中にも、日本語のような敬語の表現が
ないというんですよ。中国語には言葉だけで表現できなく、互いの関係まで
見えないというんですよ。そこから、礼儀でありを教えることが出来ないと
思うんですよ。日本語を覚えればそれだけで理解できるんですけどね。
中国語の普通話は、実際は地方独特な訛りでもあるというんです。
「江南訛り」だというんですよ。違和感があって当然ですよ。様々な民族が
集まって広大な国土に暮らしているんですから「訛り」があっても、許容される範囲だというんですから・・・。
日本人が理解に苦しむこともわかりますよ。これが「ミゾ」ですかね?

これから、初詣する方もあると思いますが、神社には必ず【鳥居】が
あるんですよね。神社のルーツを考えてください。
沢山ある神社のルーツは、神話によるものだということなんです。
「古事記」や「日本書紀」にもある、天照大御神が弟のスサノウの悪事に
心を痛め、天岩戸に隠れて世の中が暗黒の世界になった時、八百万の神々
たちがアマテラスを岩戸から誘い出そうとした、神々はアマテラスに朝だと
勘違いさせ、眠りから目覚めさそうと岩戸の前でニワトリを鳴かせた。
そのニワトリが止まった木が、つまり「鳥が居る」場所ということから鳥居と
呼ばれるようになったといいます。
ここを”通り”中へ、「入る」、つまり「通りはいる」が変じたという説もあります。
色々な鳥居の種類の中で、上部の横柱が一直線になった”神明鳥居”と
いい曲線になったものは”明神鳥居”と呼ぶそうです。ほか”三輪鳥居”などもあるんですよ。
じつは、鳥居の無い神社もあるそうです。かわりに”注連縄”というしめ縄を
くぐるところだそうで、鳥居が聖域と俗界との境界線ということなんですよ。
つまり、”鳥居をくぐる”という行為は神の聖域に入るというんですy。

新年がはじまり、早、5日です。
何故かずいぶん早く感じます。
お正月気分も薄れてきた頃だとは思いますよね。
そんな中で、気になった言葉が浮かんだんですy。
「武士道とサムライスピリッツ」です。
これって同じように聞こえるかもしれないですけど・・じつは
なぜか別ものでもあるんですよ。
【社会のルール】と考えるべきものではないでしょうか?
武士道は明治に入って新渡戸稲造が書いた本から出ていると思うんです。
武士道=サムライとは微妙に違うんですよ。
武士道という本は、日本人の心を表現する中で、「日本人の精神」ではないかと思うんですよ。文化論といってもおましくないというんです。
確かに西洋文化には、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教などがありますけど、日本でいうものには、【道徳】なるルールがあるんですよね。
これが、外国人たちには理解できないものであると同時に、誰が教えるものかもさまざまな事なんです。
日本人は、生活の中から生まれた(ルール」ですけど、これが自分たちで
自分たちを守ることという教えでもあるんです。
自分が幼少時代に、親や大人から教えてもらったルールですけど、なぜか
ここには【道徳】があるというんです。私も小学校時代では、道徳の時間が
ありました、でも今の小学生には、生活の時間という名に変わってきている
これが日本人のルールを守る精神でもあると思うんです。
武士道が騎士道と同じともいえないのも、スポーツマンシップとも違うこと
でもあると思うんです。
現代ではこの気持ち自体が薄れだして、非情な事件が起きているとも、
隣国とのぶつかることにも「ミゾがあること」でもあると思います。
『サムライ』という言葉を表現するには、【サクラの花】が合うと思います。
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