どうしても、気になる受験シーズンですけど・・・?
自分のときもそうですけど、自分の子供にも同じことを
させてきました。このシーズンだからですかね?
始まるまでは少しでも詰め込ませようと、頭に「はちまき」までして、
頑張ったことないですか?実はここで疑問ですけど・・・?
はちまきって、漢字で書くと「鉢巻き」書くことわかりますよね。何故、頭に
巻くけど鉢巻きなんだと、思いませんか?じつは、これって、武士たちが
かぶっていた兜の頭の上部を覆う部分のことを、鉢と呼んだんです。
また、はちには頭蓋骨という意味もあり、そこに巻き付けるわけだから、
鉢巻きと呼んだそうです。現在でも「頑張るぞ!」という時に、使いますよね。
気を引き締めて気合を入れたり、果ては悪霊を追い払うために、とか・・?
受験や選挙、お祭りにも絞めないですか?
そういえば、選挙ですけど・・国会が始まったのが、いつのことか?
知ってますか・・・明治23年11月25日ですけど、日本全国257の
小選挙区から選ばれた300人の衆議院議員のうち290人が登院した
これが面白いのが、はとんどの議員が洋服姿でしたけど、中には
ちょんまげ姿の変わった人物もいたそうです。当時は、初めてのことも
あり、有権者の総数も4000万国民で、立候補者の条件も、”直接国税を
15円以上納めている満25歳以上の男子に限られる”というんです。
明治25年の選挙の際の票数もかなり制限されていて、400万国民の
なかの45万人程度だったというんですよ。倍率も1,1倍ですから・・・?
当選者のなかには、わずか一桁での当選まであったそうです。
対馬選挙では11票で当選、東京でも1区87票、2区51票、3区68票、
4区184票、5区82票、6区228票、7区125票、8区141票、9区65票
ですからね。仲間内で当選できるというようですかね?
今色々ともめている隣国との問題に、日本が太平洋戦争で、無条件降伏
した終戦から出ていることが、韓国やロシア問題ですよね。
これにも、面白い発見したんですよ。
8月15日は、ポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏した日というんですけど、本土決戦を覚悟していた日本国民は、この日の『玉音放送』を
聞き、敗戦と、戦争の終結を知ったというんですよ。
しかし、この5日前の、世界の多くの人々は日本の無条件降伏を知って
いたんです。日本が御前会議でポツダム宣言の受諾を決めたのが、
8月10日なんですよ。一刻も早く連合国側へ報じなければと、いうことで
10日の午後8時過ぎに、NHKのニュースを海外放送のラジオ東京が、
短波で日本降伏のニュースを、日本語と英語で3回にわたって放送した。
短波受信機が普及していたアメリカやヨーロッパの人々は、この時点で
日本の敗戦と戦争終結を知ったというんですけど、ここで、共産圏の
国では、短波受信機が普及したないとか?持っていなく聴き取ることが
出来ずにいたか?このわずかなすき間をついてきていたんですよ。
一般の日本人の15日の玉音放送まで知らないからね?ポツダム宣言を
出されると・・・仕方ないんですよね?
中国・ロシアは連合国軍でしたけど、韓国に関しては、朝鮮戦争から連合国入りしているんですけど・・?つまり韓国とは戦争はしていないんですけど・・当時は日本の併合地だったんですから・・?
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我が家のバラもいい感じに咲き始めてますよ。
窓際が温かいんですかね?
色々な文献の中にあることだそうですけど。
勝海舟といえば、咸臨丸の艦長として最初の太平洋横断の快挙を
成し遂げたといわれてますよね。これには、追加された話があったと
いうんです。じつは、咸臨丸には、アメリカの測量船クーパー号の
元船長のブルックス大尉と11人の水兵が乗船していたというんです。
彼らはクーパー号が難破したので、咸臨丸に便乗して帰国することに
なるんですy。正使の軍艦奉行の木村摂津守善毅が、不安になり
アメリカ総領事のハリスに、ブルックスらの援助を求めたというんです。
海舟は「我らの技量を信頼しないのか」と怒ったので、”便乗”という
名目に変えたというんですよ。立場は艦長となったけど、船酔いがひどく
船室に閉じこもりっぱなしだというんです。航海自体は日本人の乗務員で
行なわれていたが、洋上で台風に突っ込んでしまったときには、ブルックスの助言で無事に乗り越えたといいますから・・・?
明治に入ってから、北海道が開拓され始めたことは、知ってますよね?
「屯田兵」は有名ですけど、じつはここにも現在のようなリストラがあったんです。幕府が無くなり、廃藩置県で、元藩主でいた奥州諸藩の士族から
募集したのが、”屯田憲兵”というんです。じつは名ばかりの名目で、
国境警備隊の名目だというんです。開拓農民の仕事や公安官的な役割も
兼ねていたそうですけど、最初は失業士族に職を与えて不満を、解消させ
一挙両得と政府は考えたというんですけど、あまりに増え続き過ぎて、
明治33年には募集も中止になり4万人ちかい屯田兵はその家族と植民
されたというんですよ。前半は失業武士の救済ではあったが、後半は
平民が増えていったそうですよ。
知っていることかもしれませんけど・・・意外なことも隠れていたんです。
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黒酢の味がいい感じですよ。
種子島に伝来した、有名なものというと”鉄砲”ですよね。
1543年(天文12年)のことですけど・・・・このように勉強しましたyね?
日本の古い書物に描かれていた「鉄砲記」に、「我が西村の小浦にひとつの
大船あり、いずれの国よりくるということを知らず、船客百余人、その形類せず、その語通せず・・・」とあり、ポルトガル船などという表現は全くない、
大きな船にポルトガル人が乗っていたことで、漂着した船がポルトガル船に
なってしまったというんです。じつは、中国船でジャンク船だというんですよ。
五峰という中国人の持ち船で、この船にポルトガル人が鉄砲を所持していた
というのが本当みたいですよ。伝来ではなくたまたま漂着してしまったと、
いうことなんですよ。その鉄砲2丁を、2000両で、種子島の領主が購入した
そうなんですy。記載はそうみたいです、別に伝来したんではないんですよ。
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蒙古の襲来を、『神風』が吹いて救ったといわれてますけど、じつはこれも
違うみたいです。蒙古軍は陸戦の騎馬隊がメインで、実際に攻めてきたのが、中国や韓国の兵士だったというんですよ。蒙古軍の退却とは、神風で
なく、征服民族が、被征服民族を使い、作らせた軍船を使ったために、
台風ともいえない波でも破壊されたというのが真実のようです。
文永の役では、一度は上陸したものの、日本軍の夜襲を警戒して船に、
引き揚げてしまい、弘安の役では日本軍の築いた防壁にこばまれ、敗北したというのが、真実の陽です。当時の気象記録を予測できる技術が今は
あるというから・・・凄いでしょう?
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我が家の梅も少しずつですけど、花を咲かせてますよ。
後、10日は楽しめそうです。