雨で始まってますけど…きょうは祝日なんですね?
カレンダーを見て思いましたけど。「春分の日」なんですyね。
春のお彼岸とも言われてます。
昔は必ずというほど、お墓参りに行くと同時に観音様にお参りもしていたんですけど・・雨で始まると出るのが億劫になります。
これも齢をとったからですかね?
そういえば、一般的に人間の成長は、20歳ぐらいまで、以降は成長が止まり、徐々に衰えていくと考えられてましたけど・・・実は10歳から老化が始まっていたということ知ってましたか?
人間の目は、老化が進むのがこの時期だというんですy。
なんと人間の目のレンズに役割を果たしている水晶体が、10歳で弾力が
衰え始めるというんです。さらに、身体が成長する10代中盤から後半にかけて目の調整機能は急激に低下するというんです。中学生から高校生に
かけて仮性近視になる方が多いんですy。メガネやコンタクトにきりかえることもあるのがこの時期なんですよ。
成人の目は、機能の低下がゆっくり進んで、40代から老眼の兆しが現れるというんです。
俗に男性の機能低下の順番を、「歯・目・マラ」ということがありますけど、
実は、真っ赤のウソなんですよ。
真っ先は”目”なんです、歯に関しては40代から抜け始め、80歳までに、
平均7本しか残らないというんです。セックスに関しては、個人差はあるものの、大抵50歳代後半から、60歳代前半がフィナーレというんですよ。
これもどうなんですかね?
恥ずかしい話を書き込んでいると、顔が赤くなりそうなことないですか?
好きな人と話すときに意識し過ぎて赤面してしまうことありませんでしたか?突然みんなの前に出なければいけない時に赤面してしまうことも
なかったですか?これって、自分ではどうにも制御できない現象だと、
言われてます。人間の体の不思議といってもいいんではないですか?
自分の意思で制御できる神経と、自分の意思ではどうにもできない神経が
あるんです。「自立神経」と呼んでますけど、これにも、「交感神経」と
「副交感神経」に分かれるんです。この2つの神経が赤面と密接に関係して
いるというんです。
「恥ずかしい」という興奮状態になると、副交感神経が働くことで、顔に流れる血液の量が増すというんですよ。それが顔を赤面にすると言うんです。
また極端に驚くことなどの興奮状態になると、今度は交感神経が働いて
血管を収縮させて、顔に流れる血液の量を少なくしてしまい、顔を青ざめる
というんです。これは、じつは多少はコントロールできるようになるんですよ。私も営業でしたからよくかんがえさせられましたよ?
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最近は、どうしてもTVを見る機会が増えてます。
以前はパソコンかDVD観賞にふけってましたけど・・
どうも最近は、パソコンでもユーチューブ見てますし・・
DVDは短編ものの映画ばかりです。
今では、ユーチューバーなるちょっとした”タレント”まがいの人が出てますよ。芸能人のユーチューブ番組もあるしね?
そういえば、『タレント』の由我を知ってますか?
タレントって、ギリシャ語のタラントンからきた言葉だというんです。
この過程も面白くて、聖書からきているというんです。
「能力のある人はタラント(お金)を持つことできる」というんです。ここから
タラントン=タレントが、「能力・技量」ちう意味になったというんです。
英語でいうと、(才能・技量)と意味されますけど・・・、歌や演技・トークに
秀でたものを意味するというんです。人を楽しませる才能を持つ人の、
芸能人に使われますよね?昔は、『スター』とか「有名人」とも呼ばれましたけどね?じつは、ギリシャ語のタラントンという重さや貨幣の単位なんですよ。いまでは普通に使う言葉ですけどね。
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我が家のチューリップが花開きだしました。
赤・青・黄いろなどいろいろ咲きだすかな?
確か、そんなに種類は植えてないのにね?
「赤バット・青バット・物干しざお」というと、思い出すのが、川上・大下・藤村
ですよね?
元巨人軍監督だった川上も、今では伝説ですよね。
戦後のプロ野球を支えてきた大物ですけど・・・もう知らない人ばかりですかね?川上の赤バットって、戦前の話で、昭和17年6月に球団出入りの玉沢
運動具店の主人に、「最近のバットは折れやすいし、表面がはがれてしまうので、ペンキにニスを混ざてくれないか?色は何色でも構わない」と注文、
御主人は、どうせ色を付けるなら、目立つ色がいいと、「赤」にしたんです。
川上がこの赤バットで打った初打席がヒットだったんです。そして戦争に
行くのですけど、戦後に、巨人に復帰してから、南風堂という運動具店から
赤バットを贈呈されたんです。このバットで、昭和46年8月25日の初打席で
右翼席にホームランを打ちこんでからというもので、その後に子供から大人まで人気が出たんですよね。じつは川上は嫌気がさしていたというんですけど・・・。連盟までも、「ボールに色がついて審判しにくい」とかで、17年には、色付きバットは禁止になったというんですよ。
我が家にもありましたよ。
大下も、川上の赤バットに対抗して作ったのが、「青バット」だというから、
戦後に進駐軍の売店であるPXに、人づてで出向いて買ったブルーの吹き付けで、白木のバットに自分で吹き付けて作ったのが、50本ぐらいのバット
何ですよ。当時、大流行の”赤いりんごの歌”にある、赤いリンゴに、黙って
観ている青い空♪からとも言われてますよ。
物干しざおの藤村冨美男といえば、元阪神の有名人ですけど、これにも
確か、ゴルフをしたときに、ドライバーをふったときに思いついたというんですよ。長くてもうまく振れば先端の回転はすると考え、特注で久保田運道具店にいき、様々な長さの棒を振ったそうです。その中から37インチが、一番よいとして、注文したといわれてます。当時はベイブルースや王貞治がつかうバットは34インチ50で、87cmですから、37インチというと97cmで、10cmちかく長いんですよ。それで成績を出したのが始まりの伝説ですy。