第5話|命はヒエラルキーではなく、循環だった

―― 犠牲だと思っていたものが、すべて「生きている証」だった話

小さな命が、大きな命を支えている。

そのことを知ったとき、
最初に浮かんだのは、
罪悪感でも、恐れでもなく――

感動でした。

ああ、
こんなにも小さな命たちが、
自分の体をつくってくれているんだな、と。


自己犠牲だと思っていた人生

振り返ってみると、
僕の人生にも「犠牲」だと感じていたものがあります。

障害者になってから、
無理をしていた自分。

我慢して、
耐えて、
自分を後回しにしていた時間。

今思えば、
あれは自己犠牲と呼べるものだったのかもしれません。


でも、それは本当に「犠牲」だったのか

もし、
それを犠牲ではなく
循環として見たら、どうだろう。

命が生かされている、という事実。
それだけで、
もう十分だったのではないか。

行き着くところは、
やっぱりこの言葉です。

生きてるだけで、100点満点。

何かを成し遂げなくても、
役に立っていなくても、

生きていること自体が、
この循環の中に
ちゃんと参加している証。


もらった命を、どう生きるか

役割、という言葉を使うなら。

僕は、
人生を楽しむことを
もっと、たくさんしたいと思いました。

重たい使命感じゃなくていい。
責任を背負わなくていい。

もらった命を、
「楽しいな」
「ありがたいな」
と感じながら生きる。

それだけで、
十分なんじゃないかと思うんです。


今、僕が生きている循環

今の僕は、
どんな循環の一部を生きているのか。

それは、
自分の経験を、
自分の言葉で表現すること。

少し特殊な人生かもしれない。
でも、その経験を発信することで、

誰かの気づきになったり、
誰かの元気の源になったりするかもしれない。

受け取る側でもあり、
渡す側でもあり、
つなぐ側でもあり、
見守る側でもある。

きっと、
そのすべてを同時に生きている。


輪廻転生を、今の言葉で言うなら

輪廻転生という言葉を、
現代的に言い換えるなら。

僕は、こう感じています。

エネルギーの循環。
意識の循環。

命は終わるのではなく、
形を変えながら、
流れ続けている。

上下も、優劣もなく、
ただ、巡っている。


この回のまとめとして

命は、
ヒエラルキーではありませんでした。

上も下もなく、
偉いも、劣っているもなく、

ただ、
循環している。

小さな命も、
大きな命も、
障害がある命も、
健常と呼ばれる命も、

すべて、
この世界を生かす一部。

今日も、
生きているだけで、
あなたは100点満点です。

次回は、
この循環の感覚を
どうやって日常の中で生きていくか
そこを、さらに深めていきます。

ここまで読んでくれて、
ありがとうございました。