第2話|人はなぜ、自分に点数をつけてしまうのか


―― 減点され続けた世界と、救われたもう一つの世界

「自分は減点された」
そうはっきり感じたのは、17歳のときでした。

高次脳機能障害になり、
僕は新しい記憶ができなくなった。

国語の授業で、
暗記して詩を読む課題がありました。
でも、覚えられない。どうしてもできない。

クラス全員の前で、
できない自分をさらされ、
心ない言葉を投げられた。

あれは授業というより、
公開処刑のような時間でした。

しつこく目をつけられ、
何かにつけて怒られる。

本当は心の中で
「ふざけるな」
そう叫んでいました。


できていた自分が、できなくなる苦しさ

それまでの僕は、
できる側の人間でした。

でも、事故を境に、
小学生でも間違えないようなことができなくなる。

「俺の存在って、何なんだろう」

ほんの少し間違えるくらいなら、
まだ耐えられたかもしれない。

でも、
100点だった世界から、突然0点の世界に落とされた。

それは、本当につらかった。


減点されないために、ずっと気を張って生きていた

減点されないように、
記憶が抜け落ちないように、
常に気を張り続けていました。

一日が終わるころには、
もうぐったり。

こんなに必死に頑張っているのに、
これっぽっちの成果しか出ない。

一人で、何度も泣きました。


「減点癖」は、自分のせいじゃなかった

普通なら、
努力すれば少しずつ向上して、
自己肯定感も上がっていく。

でも、
能力が100あったものが10になったらどうだろう。

心の中では、
「生きているだけでマイナス90点」
そんな感覚になってしまう。

それは、
僕の性格が弱かったからでも、
考え方が悪かったからでもない。

評価基準そのものが、
人の尊厳を削る構造だっただけだと思います。


点数をつけない世界は、確かに存在していた

そんな僕が、
21歳の頃に経験したのが
カナダ留学でした。

そこでは、
「だいたいできていれば100点」
という空気がありました。

完璧じゃなくてもいい。
本質が合っていればいい。

日本だったら0点にされた答えが、
カナダではこう言われる。

「いい考えだね」
「面白い視点だね」

間違いを責められるどころか、
独創性を褒められ、努力する姿勢を尊重された。

日本では
「できない人」だった僕が、

カナダでは
「優秀な生徒」
「面白い考えをする人」
として扱われた。

その世界は、
本当に温かく、心地よく、
人間らしく生きられる場所でした。


点数は、人を測るものじゃなかった

この経験で、僕は知りました。

人の価値は、
点数で測るものじゃない。

評価の物差しが変われば、
人は簡単に「ダメな人」にも
「素晴らしい人」にもなってしまう。

だからこそ、
第1話で書いたあの言葉が、
今ははっきりわかります。

生きてるだけで、100点満点。

それは理想論じゃない。
世界のどこかでは、
ちゃんと実感として存在している現実です。


この回のまとめとして

もし今、
あなたが自分に点数をつけて苦しんでいるなら。

それは、
あなたがダメだからじゃない。

減点する世界に、
長く身を置いてきただけかもしれません。

点数をつけない世界は、
確かに存在します。

そして、
その世界は、
あなたの中からも始められる。