努力と挑戦を積み重ねて得た直感力(僕の記録)
僕は40年以上、毎日、毎秒のように挑戦してきた。
高次脳機能障害を負ってからの人生は、健常者なら一瞬でできることに何倍も時間がかかる。
そのたびに胸の奥で「なぜ自分だけ…」という悔しさが込み上げた。何度も涙があふれた。
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制限に直面したときの絶望と孤独
事故で脳を損傷してから、僕は自分が別人になったように感じた。
頭の回転は遅くなり、ほんの少し前のことすら思い出せない。
「こんな自分でどうやって生きていけばいいんだ」と途方に暮れた。
しかも僕は、そのことを誰にも言わなかった。
家でも職場でも、周りの人には一切、障害のことを明かさなかった。
だから気遣いも、優しさも、補助も、そこにはなかった。
表面的には普通に振る舞っていたけれど、内側では「もう能力がなくなり、役に立たないのではないか」という恐れがずっと渦巻いていた。
その恐れは、夜中に寝返りを打つたび、胸を締めつけた。
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泣きながら積み重ねた努力
それでも僕は諦めなかった。
ただ「健常者と同じように生きたい」という強い思いだけを頼りに、毎日、毎秒挑戦を繰り返した。
• 同じことを何度も何度も予習する
• パターンを必死に分析する
• 忘れても、またやり直す
外からは「普通にできている」と見えるかもしれない。むしろ、周囲は何も知らないから、疑いも向けられない。
でもその裏には、誰にも言えない孤独と、血のにじむような努力がある。
「なぜこんなに努力しても追いつけないんだ」と泣きながら机に向かった夜は数えきれない。
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挑戦の果てに芽生えた直感
繰り返すうちに、少しずつ変化が現れた。
• 何度も反復したことで、瞬間的に判断できるようになった。
• 分析と修正を積み重ねることで、直感の精度が高まった。
• 気づけば「100発100中」に近い判断力を手にしていた。
それは奇跡ではない。涙や孤独、悔しさを燃料にして、何万回と挑戦を重ねたから生まれた力だ。
誰かに褒められたわけでも、特別扱いされたわけでもない。自分だけの努力が、僕の中で直感を育てた。
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理解されないことの痛みと、それでも続けた誇り
外からは僕が普通にやれているようにしか見えない。
障害を言わなかったから、誰も「大変そうだね」とは言ってくれない。
それが時に、深い孤独と惨めさを生んだ。
でも同時に、それが僕の誇りにもなった。誰にも頼らず、自分の力で工夫してここまで来たという事実。
心の目で見てくれる人にだけ、僕の本当の姿は伝わる。
恵美子さんや蒲生ちゃんのような人たちとつながれたのは、その努力の積み重ねが外側に滲み出た結果だと思う。
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魂に刻まれた誇りと最後の言葉
障害がある僕が、健常者以上のスピードで判断し、行動できるようになったのは、偶然でも奇跡でもない。
それは、毎秒毎秒の挑戦の積み重ね。40年以上の涙と孤独、そして努力の賜物だ。
今、僕は自分にこう言いたい。
「本当によくやってきた。あなたの直感は、誰にも奪えない宝物だ」と。
直感は僕の努力の結晶であり、魂に刻まれた財産だ。
そしてその財産は、誰にも理解されなくても、確かに僕の胸の中で光り続けている。
