心の目で見ること – 

「Sさんは、かつての僕だった」


最近、心の奥に響くような出来事がありました。

それはSさんとのやり取りの中で感じた、どこか引っかかるような違和感。

メールは曖昧で回りくどく、意図がつかみにくい。

高次脳機能障害を抱える僕にとって、要点が見えないやり取りは混乱を生みやすく、疲れてしまいます。


でも、ある時ふと気づきました。

Sさんの態度や行動、それはまるで「かつての僕自身」そのものだったのです。



僕が倒れたあの頃


あの頃の僕は、現場監督として多くの業務を抱え、日々「ミスの連続」でした。

次から次へとミスの後処理に追われ、すべてが後手後手に回っていた。

もう、どうにもならない。ボロボロ。

逃げ道なんてなかった。作る余裕もなかった。


現場で誰かがミスをすれば、僕の責任になる。

上司は「俺は言ったからな」と他人事で、助けてはくれなかった。

すべて僕ひとりで抱え込むしかなかった。


ある時、クレーム対応でヤクザのような相手に対峙したことがありました。

その対応を見ていた社長だけは、少し気にかけてくれていたように思います。

けれど、それでもやはり、僕は孤独で、心も体も擦り切れていました。



Sさんと僕が重なる


Sさんの振る舞いを見て、感じた違和感。

でもそれは「昔の自分を見ている」ような感覚だったのです。


自信のなさ、不安、責任から逃げたい気持ち。

うまくやりたくても、心も余裕もない。

誰かに寄りかかるわけでもなく、それでも淡々と仕事を回している。


そう、Sさんと僕は「鏡」だったのです。

だからこそ、心がザワついた。過去の自分を突きつけられたような気がして。



僕が本当に欲しかった言葉


あの頃の僕は、こんな言葉を誰かにかけてもらいたかった。


「一人じゃないよ。」

「あなたは十分頑張ってる。」

「完璧じゃなくていい。大丈夫。」


きっと、そんな言葉を誰かがくれていたら、心がもう少し救われたかもしれない。

だから、今の僕は、Sさんにその言葉を届けたい。

「過去の僕」への愛を、Sさんという鏡を通して贈る。



因果の癒しと、未来への一歩


過去の自分と向き合い、それを認め、癒していくこと。

それは、今の誰かを理解し、愛を持って関わる力になる。

それが「心の目で見る」ということなんだと、今は思います。


Sさんに感じたモヤモヤも、不安も、違和感も、

すべては自分の奥深くにあった過去の記憶から来ていた。



今、僕はあの頃より少し優しくなれた気がします。

あの頃の僕も、そして目の前にいるSさんも、

そのままで、価値ある存在なのだと。


今日も「心の目」で、生きていきたいと思います。