「弟の言葉に映った僕の心 〜鏡の法則と見えない障害の共鳴〜」




弟と話していて、ふとした瞬間、

「うわ、またその話か…」「長いなあ」「何度目の確認だよ…」

そんなふうに感じてしまうことがある。


弟はアスペルガー症候群の特性があり、

説明が長く、細かく、何度も何度も確認しながら話す。

一度で終わらない。納得いくまで、言葉を重ねていく。


正直、僕はそのたびにイライラしていた。

でも、あるときふと気づいてしまった。


「これ、僕じゃないか?」

そう思った瞬間、胸が少し苦しくなった。



弟が語る姿は、僕自身の姿だった


弟の話し方は、まるで自分の中にいる“もうひとりの僕”のようだった。

「もっとちゃんと伝えたい」

「誤解されたくない」

「これを言わなきゃ気がすまない」


それは、まさに**僕が高次脳機能障害になってから、感じ続けてきた“伝えたいのに伝えきれない想い”**と重なっていた。


僕は事故で記憶が残らなくなり、

言葉をまとめるのも難しくなり、

でも「ちゃんと理解してほしい」と、何度も何度も話してきた。

障害のこと

苦しさのこと

日常での小さな努力のこと


言いながらも、「また同じ話かと思われているかも…」と不安になる。

でも、それでも「わかってほしい」と願っていた。


その姿が、弟の中にそっくり映っていた。



鏡の法則とは、「目の前の人は、自分自身を映す存在」


鏡の法則の視点から見ると、

弟のくどさや確認作業は、僕の中にある「話したいけど話せなかった自分」そのものだった。

弟のくどさ → 僕自身の「伝えたい衝動」

弟の確認作業 → 僕の「ちゃんと理解してほしい」という願い

弟のこだわり → 僕の「認められたい」「見捨てられたくない」思いの表れ


僕が弟にイライラしたのは、

弟が「僕の中の未解決の想い」を呼び覚ましていたから。



高次脳機能障害とアスペルガー症候群の共通点


僕たちは一見、違う障害を持っているようで、

実は**“伝わらない苦しさ”という共通の痛み**を持っている。

アスペルガーの弟は、「空気が読めない」「話が長い」と誤解される

僕は、「忘れっぽい」「要領が悪い」と見られがち


でもその裏には、

**「ちゃんと理解してほしい」「分かってほしい」**という、切実な想いがある。


だからこそ、弟が話し続ける姿を見て、

僕の中の「もっと分かってほしかった昔の自分」が揺さぶられたんだと思う。



話を聞くということは、自分を受け止めることでもある


ある日、勇気を出して、弟の話をじっくり聞いてみた。

「長いな」と思いながらも、「うんうん」と相槌を打ちながら。

すると、弟は少しずつ落ち着いて、最後にはとても満足そうな表情をしていた。


そのとき気づいたんだ。


僕が弟を受け入れた瞬間、

僕自身の“話したい過去の自分”を受け止められた気がした。


弟を理解しようとすることは、

実は僕自身のことをもう一度愛そうとする行為だった。



まとめ:自分の心の奥にあるものは、人を通して教えられる


「あの人、くどいな」と思ったとき、それは自分の言えなかった想いの影かもしれない

「またその話?」と思ったとき、自分も「何度でも話したい過去」があるかもしれない

「わかってほしい」と願う人に出会ったとき、自分の中にも同じ願いがあると気づけるかもしれない


僕にとって弟は、ただの家族ではない。

僕の魂が、癒しと気づきを得るための大切な“鏡”なのだと思う。



 


今日も弟の話を聞いた。

また同じ話だった。

でも、少しずつ、心が柔らかくなっていくのを感じている。


僕もまた、話したいことがある。

弟と一緒に、その“話すこと”を大切にできる関係になっていけたらいいと思う。