「自分を許すために、弟を許す」




弟はアスペルガー症候群の特性があり、話がとても長い。

確認作業も、驚くほど何度も、何度も、繰り返す。


そして、僕は――

そんな弟の姿に、イライラしてしまうことがある。


「またその話か」

「もうわかったよ」

「何回確認すれば気が済むんだよ」


そう言いたくなる自分がいた。

でも最近、気づいてしまった。


弟の行動は、まるで“僕自身”を映しているようだった。



弟の姿に、自分の姿が重なる


弟が何度も確認するのは、きっと「ミスをしたくない」「怒られたくない」という強い防衛反応なんだと思う。

僕も同じだった。


高次脳機能障害になってからというもの、

•記憶できない

•うまく話せない

•同じミスを繰り返す


それが悔しくて、怖くて、どうしようもなくて、

何度も確認せざるを得ない自分がいた。


弟の「確認癖」が目についたとき、

僕はたぶん、かつての自分の無力さを思い出していたんだと思う。



「くどいな」と思ったのは、弟じゃなく、自分だったのかもしれない


弟の話は、正直くどい。長い。終わらない。

でもそれは、「誤解されたくない」「ちゃんと伝えたい」という必死な想いのあらわれ。


…気づいてしまった。

それ、僕も同じだった。


僕も「自分の障害のことを理解してほしい」

「できないことがあることを知ってほしい」

「何度でも、丁寧に話したい」

そう思っていた。


でも、それを誰かに「またその話?」と思われるのが怖くて、

どこかで“話すこと”を我慢していた。



弟を許すことは、過去の自分を許すこと


だから今、弟のことを「うるさいな」「しつこいな」と思うとき、

実はそれは、**「あの時の自分をまだ許せていない」**ということなんだとわかった。

•ちゃんとできなかった自分

•迷惑をかけた自分

•誰にもわかってもらえなかった自分

•無理に普通を演じていた自分


その“昔の僕”を、僕はどこかで責め続けてきたのかもしれない。


だから、弟の姿を見るたびに、胸が苦しくなって、イライラしたんだ。



そして、今日は少しだけ心がほどけた


弟の長い話を、ちゃんと聞いてみた。

「うんうん」と頷いて、内容じゃなく“気持ち”に耳を傾けてみた。


すると弟は、嬉しそうな顔をしていた。

たぶん「話を聞いてもらえた」という感覚が、弟の自己重要感を満たしてくれたんだと思う。


そして、僕も不思議と、少し楽になっていた。


弟を受け止めた瞬間、

僕の中の“昔の僕”が、「ありがとう」と言った気がした。



許すということは、過去の自分を愛で包みなおすこと


•弟の「しつこさ」は、僕の「伝えたかったけど伝えきれなかった想い」

•弟の「確認作業」は、僕の「失敗が怖かったあの日の慎重さ」

•弟の「言いすぎる癖」は、僕の「わかってほしい」という叫び


弟を許すとき、

僕はようやく、自分を許すことができるのかもしれない。




僕たちは、互いに似ている。

だからこそぶつかることもあるけれど、

そのたびに、「もっと深く理解し合えるチャンス」があるのだと思う。


今日もまた、僕は弟に学ばせてもらった。

そして、自分の中の“見捨てていた自分”を、少しだけ抱きしめることができた。


ありがとう。

許すということを、思い出させてくれて。