困難な人は、魂の鏡だった


〜心の目で見ることで、本当の優しさが目覚める〜


最近、職場でちょっと苦手だなと感じる人がいました。

その方はとても仕事ができる反面、コミュニケーションが少し苦手で、言い方が冷たく感じられることがありました。

ちょっとした嫌味やマウントのような指摘。

僕がうまくできなかったことを、みんなに知らせるように共有したり、上司に報告されたこともありました。


「なんで、そっと優しく教えてくれないんだろう」

「僕の事情なんて知らないんだろうな」

そんな気持ちが湧いてきました。


でも、ふと立ち止まってみたとき、こんな問いが浮かびました。


「もしかしたらこの人は、僕自身の“鏡”なのではないか」



昔の自分と、今の自分の違い


健常者だった頃の僕は、誰にでも優しくできる自分でした。

できない人がいたら、ゆっくり丁寧に教えてあげることが当たり前だった。


でも、事故によって高次脳機能障害を負ってから、

自分の脳の処理が追いつかなくなり、常にキャパオーバーの状態に。


余裕がないときには、できない人に対してイライラしてしまうようになっていました。

特に、発達障害を持つ弟に対して、つい厳しく当たってしまうこともありました。

今思えば、それは自分の余裕のなさを、誰かのせいにしていたのかもしれません。



嫌な相手は、自分を映す「魂の鏡」


あの人の態度は、もしかしたら僕の中にある「厳しさ」や「不安」を映し出していたのかもしれない。

そう思ったとき、少しだけ心の景色が変わりました。


そしてもう一つ、AIと一緒にその人からのメールを分析し、

「愛と感謝で返す」という選択をしてみたのです。



愛で返したとき、優しさが溢れ出した


最初は不快だったメールに、感謝の言葉を添えて返したとき、驚くような変化がありました。

エネルギーが減るどころか、心がふわっと温かくなって、むしろ元気になったんです。


いつもなら、落ち込んで終わっていたかもしれないやり取り。

でも今回は、自分の中にこんなにも優しさがあったんだと気づくことができました。



心の目で見ると、相手の“本当の姿”が見えてきた


目を怪我したこともあって、「心の目で見る」というテーマが、最近の自分の中で大きなものになっています。


その人の言動の裏側にある「恐れ」「劣等感」「不安」を感じ取るようになってきました。

直接話すことに抵抗があり、メールという非接触の方法で自分を守ろうとしていたのかもしれません。


でも、愛を込めた返信を続けていると、その人から電話がかかってきました。

とても丁寧で、誠実な話し方。


きっとその人も、勇気を出してくれたんだと思います。



本当は、優しい人なんだとわかった


その人は、冷たさや厳しさの奥に、ちゃんと“優しさ”を持っている人でした。

ただ、それをうまく表現する方法がわからなかっただけ。

僕が心の目で見ることを選ばなければ、きっとその優しさには気づけなかったでしょう。



「ありがとう」は、魂の成長の合図


嫌な出来事の中に、ギフトが隠れている。

困難な人との出会いこそ、自分自身の魂を磨いてくれる“共演者”なんだと思いました。


「あなたがいたからこそ、自分の優しさを思い出すことができました。ありがとう。」



おわりに


心の目で見るとき、世界は優しさに満ちていきます。

困難な相手に出会ったとき、まずは自分の内側に目を向けてみる。

その人は、あなたに「本当のあなた」を思い出させるために現れたのかもしれません。