理解されない痛みと心の目


〜見えないものを見ようとする勇気〜



僕には、見えない障害がある。


高次脳機能障害――

脳を大きく損傷したことで、記憶がつながらず、思考もうまくまとまらない。


でも外見ではわからない。

話もできるし、動けるし、笑ってもいられる。

だからこそ、「障害があるなんて思えない」と言われることがある。

それが、僕にとっては一番つらかった。



「見えないもの」をどう伝えればいいのか


たとえば、いいアイデアが浮かんだとき。

「やった!」と思って提案しても、あるの家族からは「また偉そうに」と受け取られる。


心からの喜びを表現しているのに、

なぜか「上から目線」「自慢」に変換されてしまう。

誤解されたまま、理解されないまま、言葉が宙に消えていく。

それが、見えない障害を生きるということなんだと思う。



でも――僕は必死に生きている。


たとえうまく伝わらなくても、

僕は、今日を全力で生きている。


記憶に残らないから、毎日が初体験のように感じることもある。

でも、それでも工夫して、学んで、前に進んでいる。


見えないところで頑張っている。

なのに、それをわかってもらえない時、心が折れそうになる。



それでも「心の目」はあると信じたい


見えない痛みを理解するには、

目ではなく、心で見る力が必要だと思う。


言葉の奥の震えに、

仕草に込められた想いに、

波動に宿る「生きてきた背景」に、

気づこうとする感性――それが「心の目」。


心の目を開けば、

表面的な言葉の背後にある、本当の叫びが聞こえてくる。



僕自身も、心の目を開いてみる


もしかしたら、あるの家族たちも不器用なだけなのかもしれない。

「理解したいけど、どうしたらいいかわからない」

「自分の無力さを認めたくない」

そういう想いが、強がりや無関心に変わって表れているのかもしれない。


僕が自分自身をちゃんと見つめ、

「ありがとう」と言えるようになったとき、

相手の中にも“何かが動く”かもしれない。



最後に:「理解されない痛み」は、ギフトかもしれない


もし僕が完全に理解されていたら、

こんなにも深く「心の目」ということを考えなかったかもしれない。


この痛みがあったからこそ、

僕は他人の苦しみに、もっと寄り添えるようになった。

弟のこだわりも、奥さんの苛立ちも、

「心で見よう」とする自分になれたのは、理解されない経験があったからだ。


だから今日も、

誤解されても、伝わらなくても、

僕は僕を信じて、心の目で歩いていこうと思う。



「心の目で見る人」が増えていく未来へ


見えない障害を生きるあなたへ。

もし「わかってもらえない」と感じる日があったとしても、

あなたの存在は、誰かに深く届いています。


それは目に見えなくても、ちゃんと“波動”で伝わっている。

信じてください。

心の目を開いたあなたの光は、確実に誰かの闇を照らしています。