第5章

ベストを尽くしたかどうかが、

自分を評価する基準

――他人の評価ではなく、自分の真心に従って生きる



◆ 冒頭の問い


あなたは自分の人生を、何を基準に評価していますか?

誰かの言葉?数字?結果?

それとも、**「自分がベストを尽くしたかどうか」**という感覚ですか?



◆ 僕の体験(高次脳機能障害の視点から)


僕はかつて、学校の成績、スポーツの順位、周囲からの賞賛など、

「人からどう見られるか」で自分を判断していた。

事故で高次脳機能障害になってからは、その「見られ方」が崩れていった。


人と同じスピードで話せない。

記憶が抜ける。

計算ミスを何度もする。

以前のような評価をもらうことは、なくなっていった。


でもその中で、僕はあることに気づいたんです。

「自分がどれだけ誠実に生きているか」だけが、唯一の判断基準になるって。


「ベストを尽くした」と自分で言えるなら、他人の評価はいらない。

そこにあるのは、深い静けさと、じんわりと満ちる誇りだけでした。



◆ 他人の評価より、自分の“納得”を大切にする


今の僕は、自分にこう問いかけています。

「今日、自分なりの100点を出せたか?」

「たとえミスをしても、真心で動けたか?」


この問いは、障害がある僕にとって、とても大切な命綱です。

なぜなら、できた・できなかったではなく、“どんな姿勢で生きたか”を評価できるから。



◆ 多角的な解析


● 脳科学の視点

自分に対して公正な評価(自己評価)をすることは、自己認知機能(前頭前野)を安定させる。

自分を責め続けると、ストレスホルモンが慢性的に出て、脳の働きにブレーキがかかる。

→ ベストを尽くした自分を認めることで、脳の回復と安定に好影響。


● 心理学の視点

他者評価より自己評価を基準にする「内的動機」は、長期的な幸福度と自己成長に直結する。

自分の基準を持っている人は、ストレス耐性が高く、レジリエンス(回復力)も強い。


● 鏡の法則の視点

自分を評価する姿勢は、他人の目にも同じように映る。

→ 自分を認めている人は、他人からも信頼されるようになる。


● クオリアの視点

「今日も一生懸命生きた」という感覚には、満足と光を含んだクオリアがある。

→ 記憶障害があっても、その体感は魂に残る。


● スピリチュアルの視点

魂の学びは「どんな結果を出したか」ではなく、**「どんな心で取り組んだか」**にある。

→ 魂のレベルでの成長は、誠実さと愛から生まれる。



◆ 読者への問いかけ

1. 最近、自分に「よくやった」と言えるような体験はありましたか?

2. 他人の評価と、自分の納得感が食い違ったことはありますか?

3. あなたの「人生の評価基準」は何ですか?

4. 今日という一日を、自分にどんな言葉で締めくくりたいですか?

5. 障害や失敗を経験してなお、自分を誇れる瞬間はありましたか?



◆ 章末メッセージ


人生は「合格・不合格」で測るものじゃない。

どれだけ真剣に、どれだけ誠実に、生きたか。

それだけが、魂が喜ぶ評価のものさし。

そしてそれは、**世界でたった一人、自分だけが知っている「本当の成績表」**なんだ。