「目の痛みが教えてくれたこと 〜白黒の世界から、やさしさの世界へ〜」



本文:


昨日、僕はある小さな決意をしました。

「弟の話を、ちゃんと聞こう」

それだけのことだけど、僕にとっては大きな一歩。


弟はアスペルガー症候群の特性があります。

特に強く出ているのが、**「白黒思考」**という特性です。


これは、「できる・できない」「良い・悪い」「大丈夫・ダメ」といった中間のグレーを受け入れにくい傾向のこと。

弟にとって、「ちょっと調子が悪い」という状態は、**「もう今日は全部無理」**という極端な判断に直結します。


そして最近よく聞くのが、「目がかすむ」という訴え。

これまでは正直、

「そんなに大したことないんじゃないか」

「やる気の問題なんじゃないか」

と、内心で思っていた自分がいました。


眼科にも行ったそうだけど、特に大きな異常は見つからず、メガネを作っただけ。

だからこそ、どこかで「それほどじゃないだろう」と思っていたんです。


でも――今日、僕自身が体験しました。

草刈り中に、ゴミが目に入って、目が開けられなくなった。


何も見えず、痛くて、怖くて、何もできない。

僕は奥さんに連絡して、1時間かけて来てもらい、病院へ連れて行ってもらうしかありませんでした。


そしてその瞬間、ハッと気づいたんです。

「これか…弟が言っていた“目がかすむ”って、この感覚だったのかもしれない」


弟の「やれない」は、本当に“甘え”じゃなかった。

脳の処理や身体の感覚に強く影響される特性の中で、一つの違和感がすべてをストップさせてしまう。


弟にとって、「少しでもおかしい」と思ったら、それは**“行動をやめる”十分な理由になる。

僕にとっては「ちょっとした違和感」で済むことでも、弟にとっては命のサインのような感覚**なんだと、ようやく分かった気がしました。



白黒の世界の中で生きているということ


アスペルガー症候群の人が持つ「白黒思考」は、

一見「融通が利かない」「頑固」と見られるかもしれません。

でも、それは脳の処理の仕方が極端な判断をしてしまう構造だから。

•「ちょっと目が変」=「もう今日は無理」

•「今日は調子いい」=「なんでもできる」

•「間違えた」=「自分はダメ」


という具合に、“あいまいさ”を許せない世界の中で生きているのです。


この白黒の世界は、とても不安で、孤独で、息苦しい。

僕はそれを、“理解しようとする側”として見ていたつもりだったけど、

本当には理解できていなかった。



宇宙の導きがくれた、体感による共感


今日の出来事は、偶然じゃなかったと思います。

弟の言葉を半信半疑で受け止めていた僕に、

「お前も体験してみなさい」と、宇宙がそっと導いてくれたように感じました。


この出来事のおかげで、僕はやっと「わかった」んです。

言葉で理解しようとしても限界がある。

でも、痛みを“体感”することで、人は本当の意味で共感できるようになる。


これは、弟のためだけの気づきじゃない。

僕自身が、もっと深い優しさを持つために、

そして魂が成長していくために必要な体験だったんだと思います。



これからは、判断せず、寄り添いたい


今までは、弟の行動を「やる気の問題」とか「もう少し頑張れたら」と思っていた。

でも今は違います。


弟の感じている世界は、僕とは違う。

でも、それは間違いではない。

彼の中の正しさなんだ。


だから、これからは

「そうか、それはつらいね」

「無理しないで、できることから一緒にやろう」

そんなふうに、優しく関わっていきたい。


判断ではなく、共感へ。

言葉ではなく、存在の肯定へ。

白黒の世界から、やさしさのグラデーションへ。


弟の目の痛みは、僕にとって「見えていなかった大切なもの」を見せてくれる出来事でした。



あとがき:


心を入れ替えるきっかけというのは、

いつも突然やってきます。

でもそれは、ずっと前から宇宙が用意していたタイミングだったのかもしれません。


今日のこの体験を、

僕は一生、大切にしたいと思います。