「狭くて深い世界で、僕は生きている」



僕は、人間関係が狭くて、深い。


健常者だった頃も、それなりに深い関係は築いていた。

でも、17歳のときに高次脳機能障害になってから、自分を出すことができなくなった。

見えない障害。理解されることの難しさ。

それが、僕を無口にさせ、うなずくだけの聞き役にしていた。


だから、障害をオープンにするまでは、

本当の意味で深い関係は、あまりなかった気がする。


だけど、障害を隠さずに話したとき、

それでも僕を理解しようとしてくれる人が現れた。


それは、本当に奇跡みたいだった。


人間関係は狭くなった。

だけど、その分、深く、深く、温かくなった。


広く浅い付き合いも、楽しい時期はあった。

だけど、やっぱり僕は、波動が合う人、共感し合える人、

自分と似た何かを持っている人と、深くつながっていきたい。


障害を理解してくれた瞬間、僕は救われた。

「本当にありがとう」

心の底から、そう思った。

命の恩人だとさえ思う。


誰にも理解されず、孤独の中で死んでいくのかもしれないと、

そんな絶望に近い気持ちを抱いていた僕にとって、

その優しさは、涙が出るほど嬉しかった。


言葉にしなくても、心でわかってくれる人がいる。

その温かさは、僕の魂を震わせた。



仕事でも、僕は「一緒に創る」ことを大切にしている。


ただ作業するだけじゃない。

ただ言われた通りにやるだけじゃない。


お客さんと一緒に、笑いながら、悩みながら、

その人だけのオリジナルを形にしていく。


僕が担当していた仕事は、建築や補助金の申請。

ハウスメーカーにいたときは、本当に300件以上の設計に携わった。

一人ひとりのために、最大限の提案をして、

その人だけの特別な家を作り上げた。


本当に300件以上の家を作った。

どの家にも、ありがとうの笑顔があった。


障害があっても関係ない。

僕は、ただ「いい仕事」がしたかった。


その想いに共鳴してくれる人たちと、

心を重ねてきた。



誰と時間を過ごすか。

それが僕にとって、一番大事なこと。


障害をオープンにしたとき、

離れていく人も、嫌がらせをしてくる人もいた。


でも、その中で、

「それでもいいよ」と寄り添ってくれる人たちがいた。


そんな人たちと過ごす時間は、

魂が喜ぶ。

心があたたかくなる。


信頼できる人と仕事をする時は、

エネルギーの波動が全然違う。

ワクワクして、嬉しくて、自然に笑顔になる。


楽しい仕事と、ただ義務でやる仕事。

出来上がるものも、エネルギーが違うんだと、僕は感じている。


貢献とは、誰かを楽にすること。

誰かを喜ばせること。


信頼できる人に貢献できた時、

「生きていてよかった」と思える。



障害を持っている僕でも、

いや、持っているからこそ、

人とのつながりの深さが、よりクリアに見えるようになった。


障害を隠さずに生きることで、

本当に大切な人たちだけが、そばに残った。


それは、僕にとっての宝物だ。



想像すること。

創造すること。


考えて、考えて、考え抜いて、

ふっと閃いたとき。

素晴らしいアイデアが生まれたとき。

それは、飛び上がるくらい嬉しい。


「あぁ、これが僕だ!」

そんな風に思える。



もし過去の自分に伝えられるなら、

「あなたは素晴らしい」って言いたい。


苦しい中でも、

絶望の中でも、

全力で生き抜いたから、

今の僕がいる。


未来の僕には、こう伝えたい。


「もっと自由に、自分らしく生きろ。」

「我慢しないで、やりたいことをやれ。」

「きっと、できるから。」



僕はこれからも、

狭くて、深い、あたたかい世界で、

自分らしく生きていく。


未来を、信じて。