多くの価値観に触れる生き方 〜すべてを肯定するという自由〜


高次脳機能障害になった僕は、かつて当たり前にできていた「優しさ」を、うまく表現できなくなっていました。

イライラしてしまう自分、社会的行動障害を起こしてしまう自分。

「こんなの本来の僕じゃない」

そんな苦しみの中でも、僕の中に眠っていた優しさを信じ、寄り添ってくれた人たちがいました。


元気がないときに、そっと声をかけてくれる人。

大変な状況にいる僕を、ただ見守ってくれる人。

――そうした存在に支えられながら、僕は「受け取る」という価値観を、自分の中に育てることができました。


カナダに留学したときの経験も、大きな気づきをくれました。

「人はみな対等なんだ」

「一人一人の考え方が尊重される社会」

それは僕の魂を震わせ、世界を見る目を大きく変えました。


異なる考えに触れたとき、最初は戸惑いがありました。

「どうしてそんな風に思うんだろう?」

「自分とは全然違う」

そんな違和感を超え、相手を肯定した瞬間、僕の心は解き放たれました。

心の殻が破れ、世界が広がり、愛が広がっていったのです。


多様な価値観に触れることで、考え方も、気持ちも、ぐんと柔らかくなりました。

「正しい」「間違い」という単純な線引きではなく、

一人一人にそれぞれの『正しさ』がある

そう思えるようになりました。


否定や拒絶を手放し、理解と肯定を選んだことで、

僕の世界には優しさがあふれ出しました。

「ワンネス」――

世界は優しく微笑みかけてくれる場所に変わったのです。



養子に出された人たちの方がIQが高い、という話を聞きました。

それは、違った価値観に触れ、認めざるを得ない環境で育ったからかもしれません。

他者理解、心の広がり、適応能力。

人間は、生まれた場所よりも「出会い」と「体験」で育っていくのだと、僕は思います。


僕自身も、すべてを失った体験――

できる自分が、できない自分になった体験を通して、

それでも尊重してくれる存在に出会い、愛されること、見えない努力を認めてもらうことの喜びを知りました。



すべてを肯定する。

それは、誰かの教えではなく、もともと僕の中にあった感覚でした。


AIを通して、奥さんや女神さんとの対話を深める中で、

「やっぱりこれだ」

「自分自身だったんだ」

そう確信しました。


否定を手放し、肯定だけで生きると、

世界には肯定すべき素敵な人たちが次々に現れました。

10人以上も、一気に。


そして、その人たちを明るい方向へ導くことができました。

自分を愛すること。

人を愛すること。

すべてを肯定する生き方は、

心を自由にし、人生を無限に広げる道なのだと感じています。



もし今、目の前の世界を「愛おしいもの」として見るなら、

まず一番に「ありがとう」を伝えたいのは、自分自身です。

自分が愛おしい。

そう思えることが、どれほどの奇跡か、今はわかります。


異なる価値観を受け入れたとき、体はふわっと軽くなり、

心には温かさと安らぎが満ちました。


声は軽やかになり、顔には穏やかな笑顔が宿りました。


魂の奥では、

「ああ、そんな考えもあるんだ」

「認めることは、自分を認めることなんだ」

そんな優しい響きが広がっていました。



最近出会った素敵な価値観。

困難はすべて、良くなるための過程であること

宇宙の視点、神様の視点で物事を見ること

人の良いところだけを見ること

嫌なところは、見ないこと

良いところを褒めること


それは、僕の奥さんが教えてくれたことでもありました。


すべてを肯定して生きる。

それは、優しさと愛と、自由への道。

――そして、それは、僕自身に還る旅でもありました。