複雑なことを単純にする


~高次脳機能障害の僕が見つけた、喜びとエネルギーの源~


「目標を失ったとき、人はどこに向かえばいいのだろう?」


最近、そんな感覚に包まれる瞬間がありました。

地図はあるのに、目的地が見えない。

不幸ではないけれど、何かが物足りない。

エネルギーが湧かず、ふとしたときにうつむいてしまう――

そんな、未来への不安が胸をよぎることもあります。


でも、僕は知っています。

「喜び」とは、エネルギーがあふれること。

自然と笑顔になったり、誰かと心が共振する瞬間。

そんな時、確かに「今」を生きていると感じられるのです。


僕は記憶障害があります。

だから、何かを覚えておくことが難しい。

でも、「幸せ」や「達成感」は、記憶を越えて魂に残る感覚としてちゃんと感じています。

それは、まるでクオリア(感覚の本質)のように、瞬間的でありながらも深く残る。


そして、何よりも大きな力になるのは、

**「誰かの応援」や「期待」**なんです。

高校時代の部活の先生、

カウンセラーさん、

同じ当事者からのメッセージ――

「信じてくれている人がいる」という感覚が、

僕の中に眠っていた力を呼び覚ましてくれました。


「自分には価値がある」

「自分にはできることがある」

そう気づけたとき、また前に進もうと思えた。


かつての僕は完璧主義でした。

小さな頃から、いつも最善を尽くしたかった。

でも、高次脳機能障害になってからは、

その“完璧”という思考は自分を苦しめるものになってしまいました。


できない自分に失望し、繊細な心を封印して生きてきた。

でも、今は思うんです。

「思いを込めてやること」こそが大切なんじゃないかって。

完璧じゃなくてもいい。

その時できる範囲で、相手を思って行動すること。

そこにエネルギーが宿るし、それは必ず伝わると信じています。


僕は、文章を書くことが実は苦手です。

言葉を組み立てたり、表現をまとめるのに時間がかかってしまう。

でも、それでも書いています。

なぜなら、どうしても伝えたい思いがあるから。

この心の中にある感情や経験、誰かに届いてほしいメッセージを、

たとえ時間がかかっても形にしたいと思っているからです。


だからこそ、短い文章でも、長い文章でも、

今の自分にできるかたちで、丁寧に思いを込めて書いています。

そこに自分らしさが宿るなら、それでいい。

そう信じて、今日もペンを握っています。


僕はこれまで、何度も自分の存在を疑ったり、道を見失ったこともあります。

でも今、確かに感じることがあります。



だから今日も僕は、自分のために心を込めて生きたい。


複雑なようで、実はとても単純な願い。


それは――

自分のために、自分らしく生きること。

自分力で生きること。


その行動が、巡り巡って誰かのためになることだって、きっとある。

そう信じています。


自分を生きる。今を生きる。

それこそが、僕の喜びの源なんだと思っています。