〜命を重ね煮するように生きる〜


【第5話】
生きてるだけで、誰かの希望になっている


「ありがとう」って言われたこと、ありますか?

何か特別なことをしたわけじゃなくても、
「友達になってくれてありがとう」
「発信してくれてありがとう」――
そんなふうに言ってもらえたことが、ふとよみがえります。

SNSを通して、親友や仲間たちから届いた何気ない感謝の言葉。
それは、何もしていないように見えて、
“そこにいてくれた”ということへの感謝だったのかもしれません。


思えば、僕はいろんな形で誰かを支えてきました。
家族、友人、そして弟――。

弟には特に、生活面でも心の面でも、ずっと寄り添ってきました。
病気になった友人を励ましたこともあります。
ただ話を聞くだけでも、
「ありがとう」と言われた時、
人って、言葉より“存在”で支え合ってるんだなって感じました。


そして、ある時ふと気づいたんです。

ただ「生きている」という姿が、
誰かにとっての希望になることがあるんだ、と。


僕は高次脳機能障害という見えにくい障害を背負って生きています。
記憶ができにくく、毎日を0から始めるような日々。

でも、そんな僕でも――
いや、そんな僕だからこそ、
同じ障害を持つ人からこう言われたことがあります。

「あなたの姿に勇気をもらいました」
「自分ももう一度向き合ってみようと思えました」


僕は、ただ、自分の人生に真剣に向き合ってきただけです。
40年。
悩みながら、迷いながら、試行錯誤しながら――
でも、命を諦めることなく、生きてきた。

その姿が、誰かにとって“希望の光”になっていたと知ったとき、
僕は初めて、こう思えたんです。

「生きてるだけで、誰かの役に立ってる」
「存在しているだけで、人は誰かを救っているんだ」って。


だから、もし今、
「何もできていない」「誰にも必要とされていない」と思っている人がいたら、
どうか伝えたい。

あなたがただ生きていることが、
もうすでに誰かの光なんだよ。