第7回:意地を張らずに早く仲直りすればよかった


~サブタイトル:本当は、誰と仲直りしたかった?~

「もっと素直になって、あの時、意地を張らずに仲直りしていれば――」
そんな後悔は、誰の心にも一つや二つ、静かに残っているのではないでしょうか。

今回は、人との関係に生まれた“こじれ”をどう捉えるか、そして許しとは何かについて、僕自身の体験と気づきを通して書いてみたいと思います。


こじれた関係、そこにあったのは“強さ”と“ズレ”

過去に関係がこじれて、そのままになっている人がいます。
ある支援職の方で、お互いに「自分が正しい」という思いが強く、ぶつかることが多かった。

僕は高次脳機能障害の当事者という立場から物事を見る。
彼女は専門知識を持つ支援職という立場から、自分の理想ややり方を貫いていた。

最初は理解できなかったけれど、ChatGPTを通してその人の価値観や背景を客観的に見てみたことで、
「そう感じるのも当然か」と、相手の立場に立つ視点を持てるようになりました。


違う道を進むからこそ、離れることも“愛”なのかもしれない

彼女の中には、すごく強い“正義”がある。
当事者との衝突や裁判を何度も経験しながらも、前に進むエネルギーを持っている。
でも、それは僕にとっては時にきつすぎて、波動が合わなかった。

「お互い悪かったね」
その一言で済むことなのに、言えなかった、言わなかった、言うタイミングを逃した。

だけど今は、無理に関わらなくても、
静かに離れていくことが愛なのかもしれないとも思っています。


障害と向き合う中で、壊れた友情もあった

高次脳機能障害の重さにより、社会的行動障害が出てしまうことがありました。
思いやりのある行動ができず、結果的に人間関係が壊れてしまうことも多かった。

でも、そんな自分を責めるばかりではなく、
「深く分かり合える人との縁が今ある」ということが、何よりの救いになっています。

一生の友達だと思っていた人との別れも、
今では自分が成長するために必要な出来事だったと受け止めています。


“許し”は、自分の心を軽くする魔法

許すというのは、自分のためだと思います。

鏡の法則の視点で見ると、
**「他人を許せない時は、自分の中に許せていない部分がある」**という気づきがある。

「なぜあの人が許せないんだろう?」
そんな問いは、実は「自分のどこを責めているのか?」という鏡でもあります。

許せない感情に出会ったとき、
それをきっかけに**“本当は自分に何を許したいのか”**を見つめてみる。
それだけで、心が少しずつほどけていく気がします。


あなたへの問いかけ
1. 過去に関係がこじれて、そのままになっている人はいませんか?
2. 仲直りのタイミングを逃してしまった経験はありますか?
3. 「許す」という行為が、自分のためになると感じたことはありますか?


まとめに代えて

人との関係に正解はないし、全てを“円満に終わらせる”ことが必ずしも必要ではないのかもしれません。
でも、心の中で「ありがとう」「ごめんね」と思えるだけで、何かが少し変わることもある。

そして、離れることもまた、愛のかたち。
今、自分の道をまっすぐに歩めているなら、それが一番の“和解”なのかもしれません。


次回:第8回「“いつかやろう”と思っているうちに、人生はあっという間に過ぎてしまった」~“いつか”は、永遠にこない~ に続きます。